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 そんなことがあった山百合会だけれど、それから白薔薇さまと他のメンバーがぎくしゃくしているといったことは全然ないらしい。
 それは私なんかが心配するようなことじゃなかったけれど、でも、私はもちろんそんな風になってほしいわけじゃなかったから、そう聞いたときにはやっぱりまた少しほっとしたのだった。
 真美さまと私が最初に行き違った理由もわかった気がする。そのかわら版に対して自分が抱いていたどこか納得しきれていない部分を、真美さまは私に言い当てられたときっと勘違いしたのだ。
 今だってそう。内幕を知って私は勝手に深刻になって口を開けなくなっていた。それは私にとって都合のいい言葉で表していいのなら「潔癖」と、そう言っていいのかもしれないけれど、もっと正しく言えば、築山なつは、そういう人間関係についての考え方が幼稚で、過敏な子どもだから。
「あの日、なつちゃん言ってたじゃない? 『黄薔薇革命』の記事を私がよかったと思っているのかって」
 真美さまが微笑んで振り返るから、その日のことを思い出した私は余計恥ずかしくなった。
 そう。あの日私はその質問を真美さまにしつこくぶつけて、しかも自分の望む答えを真美さまがなかなか口にしてくれないとまるで裏切られたとでも言うように、身勝手に距離を感じていた。今よりももっと、私は子どもだったのだ。
「……はい。すみません」
 よりはっきりとその日の自分を思い出すと、恥ずかしさは私をいたたまれない気持ちにさせて、だから私は、真美さまの右肩の辺りに目線を逸らした。
 だけど、そうやってせっかく逸らしたのに真美さまはわざわざそんな私の顔をのぞくように首を動かして。
「どうして謝るの?」
 かしげたそこには笑みと疑問符。
「あの、だって私、変なこと聞いて、妙に食い下がって」
 私は早口でそれに答えた。真美さまに迷惑をかけた。それは口にすることでより落ち込むようなことだったけれど、でもまぎれもない事実だったから。
 それなのに、真美さまは「そんなことないわよ」って言うように大げさに首を左右に振る。そして、からかったり持ち上げたりするつもりならもっと現実的なことを、もっと冗談気のある顔で言うべきなのに、ただひどく優しく柔らかに語りかけたのだ。
「私ね。なつちゃんみたいな物の見方って、すごく大切なことだと思ったわ」
「え……」
「なつちゃんは信じてくれないかもしれないけど。忘れちゃいけないことを教わった気がした」
「……」
 そんなこと……、とさえ言葉にならなかった。その言葉には真実味がなさ過ぎて。
 それは、真美さま自身が言ったとおり信じられるようなことじゃなかった。だってそんなことありえない。私が真美さまに何かを教えられたなんて、そんなこと。まして、それが「すごく大切なこと」だとか「忘れちゃいけないこと」だなんてなおさらだった。
 私はいつから夢の世界に来てしまっているのだろうか。もしかして私は本当は今、午後の授業中で、先生に怒られる寸前なんじゃないだろうか。
 あまりの非現実的な状況に思わず私にはそんな考えが浮かんだけれど、でも考えてみれば夢だって私が創る世界なら真美さまにこんなこと言わせるはずがない。ということは……。
「なつちゃんは謙虚すぎるところが難点ね」
 これを夢かもと思った瞬間何だか力が抜けてぽかんとしていた私は、真美さまがそうやって微笑みながら苦笑するとまるで叱られたようにびくっとして緊張を取り戻した。背筋もまた一瞬でピンと伸びる。……たぶん、これは現実だ。
 手に取ったりんごジュースもちゃんと飲んだ分だけ減っていた。吸い上げたらあと3分の1くらいになっただろうか。
 そして、私のあとに自分のものに手を伸ばした真美さまが口からストローを離すと、またゆっくりと話は戻る。
「だから、なつちゃんに聞いてみたくなったのよ」
 真美さまは、2人のジュースのパック以外に唯一テーブルの上にあるそれを、示すようにほんの軽く押し出して。
「なつちゃん。それで、改めてこれはどう?」
 少し回り道をして、最初のそこに戻った会話。
 私は「嬉しい」という感情にまるで結び付かない自分のことから話題が離れてくれたことにほっとして、そのリリアンかわら版に自然と目を向けた。
 ただほんのちょっとだけ。私の中にはもう少しだけ叱られたいようなそんな気持ちも、まだほんのちょっとはあったかもしれない。


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