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 きっとそれは私の勘違いじゃないと思う。真美さまの表情、真美さまのついた息の色を見て私にははっきりとわかった。私は答えを返してなんていないのに、真美さまはそこから何か答えを受け取ってしまっていたのだと。
 なつちゃんにはわかっちゃうのねと、そう言われても、その「なつちゃん」であるはずの私はまったく何もわかっていなかった。自分にとっては深い意味なんてない単なるつぶやきが、勝手に意味を持って私の手の届かないところで歩き回る。しかも、自分にとってとても大切な人の中で。
 その瞬間、私は微かに背中が寒くなった気がした。何がどうとはうまく説明できないけれど、怖いと、そう思ったのかもしれない。私の知らない築山なつの考えが、真美さまの中で形作られてしまうことに。
「なつちゃんの言うとおりなのよ」
 だから私は、そう苦笑して真美さまがりんごジュースに手を伸ばしたその瞬間にとにかく割り込んだ。
「真美さま、あのっ。……私、何のことかわからないです」
 わからないことは、はっきりとわからないと言わなきゃいけない。たとえそれで落胆されることになったとしても。だって、そうじゃないと、いつの間にか自分のまったく手の届かないところで話は進んでしまうから。
「ん、え?」
 ちょうどストローをくわえて吸おうとしたところで、私の意思表示を受け取った真美さまはびっくりしたのか変な声を漏らして、目をぱちくりさせた。「待った」はたぶん効果があったのだと思う。
 だけど私はそれで安心することなく「すみません」と謝って、素直に伝えた。真美さまがこうして私に尋ねていることの全部が、私にはわからないということを。
 そして、その訴えをストローをくわえているのかいないのか、中途半端な状態で聞いていた真美さまは結局、それを聞き終えると飲むことなくジュースをテーブルに戻した。
「あ……そう。えーと、……ごめんね?」
 ちょっと早とちりしちゃってと、私の主張と状況を理解してくれた真美さまは少し肩を落として笑う。それはきっと肩透かしを食ったということで、つまりはがっかりしたということでもあるのだろうけど、私は勝手にそこには肩の力が抜けたという意味もあるんじゃないかと思った。それは私が、私自身のほっとした気持ちのためにそう思いたかっただけなのかもしれないけれど。
「じゃあ、最初から仕切り直し、でいい?」
 どこかばつが悪そうにも楽しそうにも見える様子で尋ねる真美さまは私がそれにうなずくと、改めて紙パックのりんごジュースを手に取って「乾杯」なんて、さっきはしていない上にちょっと意味不明なことを言い出したけど、私は黙ってその真美さまのジュースに自分のをコツンと合わせた。真美さまはどうかわからないけど、私にはその仕切り直しの儀式は何だかひどく気恥ずかしかった。
 りんごジュースは甘い。そして飲んだあとちょっと口の中に残る。でも、それは嫌な感覚というわけじゃない。
 真美さまもきっといくつかの候補の中からそれを選んだくらいだから、この感覚を少なくとも嫌いではないのだろう。少し気抜けしたような様子には申し訳ない気持ちもあったけど、きっとこれでよかったのは、私だけじゃない。
「今日はいい天気ね」
「そうですね」
 そんなところまで遠回りすると、もう緊張や焦りは真美さまにも私にもなくなってくれたに違いない。
「実はね、お姉さまには内緒だけど、ちょっとこの記事は曰くつきなのよ」
「はい」
 ゆったりと真美さまは語りはじめ、私はそれをじっくりと聞いた。さっきの行き違い、何が「なつちゃんにはわかっちゃうのね」で、何が「なつちゃんの言うとおり」なのか、その理由を聞き逃さないように。今度は行き違いのないように気を付けながら。
 白薔薇さまのアシスタントについて、内側から取材しその記事を書いた真美さまは、謎かけのように尋ねた。
「ねえ、なつちゃん。『友情のため』って言ったら、どこまでなら許されるのかしら?」


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