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 その質問のあと何も言葉をつぐことも足すこともしなかった真美さまは、キャッチボールで言えばボールを投げ終わって、私がそれを投げ返すのを待つ番に回ったように見えた。
 しかもどうしてだろう。それは、私がボールを捕れずに後ろに逸らしたり、投げ返すボールを暴投したり、あるいはキャッチボールのつもりでいたら突然バットを振り回されてどこかとんでもないところに打球を飛ばされる、といった心配をまったくしていないような表情で。
 真美さまの表情から真美さまの考えを読み取ろうなんて、そんなことを試みても私なんかにできるわけがないけれど、それでも私はそこから何かを読み取らないといけないと思った。だって、わからなかったから。
 とりあえず投げ返す。答えではないボールを。
「『どう』って、どういうことですか?」
 でも、それは即座に私の元へ帰ってきた。
「『どう』は『どう』。単純に、なつちゃんがこれをどんな風に感じたのかを聞きたいのよ」
「……どんな風に、ですか」
 やっぱりわからない。「どうだった?」というそれは限りなく漠然としていて、真美さまがどんな答えを私に求めているのか全然。
 例えばそれは、良かったとか良くなかったとか、好きとか好きではないとか、そういうことでいいのだろうか? それとももっと別の何かを尋ねられているのだろうか? でも、どう考えても私にそれを論評するような真似できるわけもないから……。
 真美さまがその質問を口にする前に一瞬視線を落としたそこをちらりと見て、私は答えのボールを見つけるためのヒントを探るように、そのための時間稼ぎのように、また答えじゃないボールを投げる。
「あの、それって表のことですか? それとも裏の?」
 それは、私にとっては本当にただ苦し紛れの質問だった。けれど。
「……え?」
 それは、虚をつかれたといった感じだろうか。真美さまにとってはその質問は予想外のものだったのかもしれない。真美さまは私の投げたボールに微かに驚いて、今度はボールを捕ったあともすぐには投げ返さなかった。
 テーブルの上、そこにあるかわら版を引き寄せ手に取ると、裏表を確かめる。その私の返した、答えとは違うボールを改めるように。
「そうね……」
 思案と言うにはささやかな間。
 そして、かわら版がまたテーブルの少し私寄りに戻されると、ボールも再び私の元に返ってきた。
「全体としてどうかを聞いたんだけど……、でも、そうね。比較ででもいいかもしれないわ」
 まるでわずかに感嘆さえするように。さすがなつちゃんだわ、とつぶやく真美さまのどこか照れるような笑みに胸の辺りが少しむずむずした。その感覚が何なのか、私には必ずしもよくわからなかったけれど、もし私が真美さまに褒められたなら嬉しくないわけがなかったから、私はそれを嬉しさによるものだと理解する。
 何より、「比較ででもいい」というそれは、まったくと言っていいほど捉えどころのなかった質問とその答えをぐっと見つけやすくしてくれたはず。だから私はその感覚について考えるより先に、ちゃんと答えを出そうと思ったのだ。
 目の前にある真美さまと私が折り目をつけた1枚の紙は両面印刷で、もちろんそうでない部分もあるけれど大雑把に言えば、表は姉、裏は真美さまだった。本来ならそれはどちらも表と言っていい構成なのだけれど、わざとらしく姉の面には「表」、真美さまの面には「裏」の文字が印刷されているから表と裏の関係はそうだと言うしかない。それはきっと姉の主張したことだろう。
 マリア祭の日の新入生歓迎会と、そこで起きた出来事を外と内から記事にする。そのアイデアは面白くて、記事だって私なんかにこんなこと言う資格はないと思うけど、よかったと思う。姉の記事が興奮しているような、興奮をあおるように思えるのはいつものことだし、真美さまもいつもそれより冷静で……。
 かなり範囲を狭めてもらったにもかかわらず、私はやっぱり答えをなかなか導き出せなかった。だからまだ、返すボールにはそんな事実を確認する、間をつなぐだけの意味しか乗せられない。
「表がお姉ちゃんで、裏が真美さまなんですよね」
「ええ、そうね」
「やっぱり、お姉ちゃんと真美さま、違いますね。真美さまは正確に書こうとしていて」
「……」
(あれ?)
 今度は反応が返ってこない。私は瞬間的にまずいと思うと、「あっ、すみません!」と頭を下げた。頭の中で留めておくだけならまだしも、そんなさもわかった風に私なんか口にしていいはずがない。そう気付いて。
 だけど、そうして一度下がった視線を徐々に戻し、やや恐る恐るに再び捉えたその人の瞳は私の想像とはまったく異なる色がたたえられていた。
「やっぱり、なつちゃんにはわかっちゃうのね」
 そして真美さまは言った。「ありがとう」と。


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