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厳しいという言葉は、楽しいとか嬉しいとか、悲しいとか寂しいとか、他にもたくさんある感情を表す言葉のうちには含まれていないと思う。だから、そのときの私の顔に対して菜々さんが当てはめた「厳しい」という言葉は、本当はもっと単純に、そんな感情を表す何かしらの言葉の方がちゃんと表現できたに違いない。
築山なつの顔からそこにある感情を読み取る能力に関して、一番それに長けているのもきっと菜々さんだろう。
だとしたら、その菜々さんがわざわざ「厳しい顔」なんて言葉で読み取った私の心をぼかしたのは、間違いなく私に気を遣った証拠。だって、「厳しい顔」というのは、決して楽しいとか嬉しいとか、心が快い方向に向いているときには浮かべないものだから。つまり、私はそのときそれとは逆の方向の顔をしていたということだ。
菜々さんの言葉からそんな風にかえりみると、やっと私は少しは冷静さを取り戻せたのかもしれない。いつもしているのにし足りない反省と、いつもしているのにし足りない感謝をしながら、私はまだ多少落ち着かない心を抑えて朝のこととさっきのことを話した。
本当は自分1人で、菜々さんや他の誰にも迷惑をかけずにいられたらいいに決まっているのだけど、そうやって自分の未熟で幼稚な姿を思い知ったあとには、そんな意地を張っても無意味だし、むしろそれはもっと迷惑になるだけ。それに、答えはわかっているはずなのに、それでも「いてもいい?」って視線で尋ねてくれた菜々さんは、それこそ確かめなくても話を聞いてくれると信じられたから。
「そっか。道理で」
そんな一方的な都合で私が話をし終えると、横でじっと耳を傾けてくれていた菜々さんは少し硬い表情でそうつぶやいた。
たった一言でもはっきりわかる。菜々さんは、私が「厳しい顔」をしていた理由も、リリアンかわら版を読むことに必死になっていて真横まで近寄っても気付かなかった理由も、正しく理解してくれたのだと。
「うん。ごめん、いつも」
どうして同い年で友達同士なのに、私はこんな風に菜々さんに助けてもらってばかりなのだろう。そのとても不公平な関係を思うと、私はうなだれるような気持ちになる以外になかった。
「だから、いいよ。別に」
だって、菜々さんは小さく苦笑してそう首を振ると言ったのだ。
「でもさ。こんなこと言うとなっちゃんは私のこと嫌いになるかもしれないけど」
「……」
「決めたなら、いちいち動揺しないようにしていかないとダメなんじゃない?」
それは私の心の真ん中から響いてこの胸がいっぱいになる言葉。菜々さん以外の誰も口にすることのできない言葉。どうしてそんな言葉をくれるたった1人の友達を嫌いになんてなったりするだろう。
「……うん。そうだね」
私はしっかりうなずいて、1人手を握りその拳に力を入れると、もっと強くならなくちゃって深く思う。自信があるとかないとか、そんなことは関係なくて、私はそういう風に変わっていかないといけないんだから。
だけど、菜々さんはそんな私の手にそっと目をやると、「ふっ」と息をつき、やれやれといった様子で笑う。
「なっちゃん、また厳しい顔してる」
そしてコツンと、私の肩に肩をぶつけた。肩の力もっと抜きなよって、そう語りかけるように。
「竹刀があったらよかったかな」
「え……?」
唐突で、ちょっと意味のわからないその言葉に首をひねると、菜々さんはその意味を教えてくれた。
「負けるのはもちろん嫌だけど、でもあんまりきれいに決められるとすっきりするから」
そして、特に一番上のお姉さんの「面」は強烈で、その日勉強したことが全部吹き飛んじゃうくらいすっきりするなんて笑うから、私もつい「ぷっ」と笑ってしまった。まさかだけれど、もし本物の竹刀がここにあったなら、実際に私の頭にそれを振り下ろそうとしていたのだろうか?
するりと自然な身のこなしで私の正面に回り、それがあるように構える菜々さんはその動作に入った瞬間から真剣そのもの。その空気に私は思わずビクッとして身構えさせられる。菜々さんは本気の目をしていた。
剣道の「け」の字も知らない素人の私はどういう合図をすればいいのかわからなくて、見様見真似で構えを取るのも失礼な気がして、ただじっとその力強い瞳を見つめていた。そして。
「めーーんっ!」
校舎裏に清々しく、澄んだその声が響いた。