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いつかも無我夢中で来たことのある校舎裏。その場所で私は立ち止まり、息をつくと、もっともっと身体の中に吐き出したいものがあふれていることを感じて、もう一度改めて息を吐いた。大きく吸って、大きく吐く。
「はぁー……」
最初よりずっと深い息。だけど効果はわかっていたとおりほとんどなかった。息の大きさを大きくしただけで心のよどみを押し流せるならそんな簡単なことないけれど、人の心はもちろんそんな簡単なものじゃないから。
ポケットに手を入れて、そこにあるものを取り出す。ポケットの中で触れたそれは一瞬お守りのような気がしたけれど、取り出して開いたそれは、どの教科でもらうものより難しい宿題のプリントだった。
でも、とにかく読まないと。
私はすでに一度は目を通したことのあるその記事を、前に読んだそのときはもちろん、それまでリリアンかわら版を目にしたどのときよりも真剣に読み進めた。たとえ心の状態が思わしくなくても、たとえそれが難解な課題でも、それは真美さまが私に手渡してくれたものだから。
真美さまが私にくれたということを考えるなら、それは宝探しの地図を読み解くみたいにドキドキしてもいいのだろうけど。
あとから考えるとそのときの私は、それに使命感を強くさせる効果しか見出すことができなくて、楽しむなんて発想は思い付きもしなかった。
そして、そうやってかえりみられるようになったことさえ、私自身が気付いたことではなくて、だからきっと、私は指摘されなかったら、何度読み返してもそこから何かの答えを探し出したり宝の在り処に目星をつけることのできない自分への失望感と、それを託してくれた真美さまへの罪悪感を募らせるばかりだったと思う。
発せられたその声は唐突だった。
「なっちゃん」
「!」
瞬間、心臓が止まったかと思った。突然呼ばれた自分の名前に私はぎょっとして、声の方向にあわてて顔を向ける。そしてまた驚いて息をのんだ。
「っ!」
いつの間にこんなに近くに。
私は1メートルも離れていない完全な真横にあったその顔をすぐには信じられなかった。さっきは止まった心臓が今度は身体の他のどこよりも激しく動く。でもそれは、またいつ止まってしまうかもしれないという不安に駆り立てられたような鼓動でもあった。
「……菜々さん」
「ごめん。驚かせちゃったみたいだね」
すまなそうに小さく笑うその子、菜々さんに私は一歩後ずさりして、そんなことしてももう無駄なのに、手にしているリリアンかわら版を身体の陰に隠しながら「……うん」とうなずいた。確かに私は最初に誰もいないと確認してから周囲の様子にあまり気を回していなかったかもしれないけど、でも足音や気配までまったく感じなかったなんて……。それはただ、驚き以外の何物でもなかったから。
「でも、どうして?」
私は尋ねた。どうしてここに菜々さんがいるのか、その理由を知りたくて。すると菜々さんはさらりと答える。
「うん。廊下で見かけて少し気になって」
だからこっそりあとをついてきたのだと、だから様子をうかがっていたのだと説明する菜々さんは、私が何がどう「気になって」なのかわからないことを感じ取ったのだと思う。
「ねえ、なっちゃん」
言っていい? と、わざわざ尋ねるような問いかけに、私はまだ落ち着いていない胸のため、ほんのちょっと間を置いてから応える。
「なに?」
すると、菜々さんも自分でわずかに間を作って、それからほんの少しだけ言いづらそうに言った。
「なっちゃんさ、すごく、厳しい顔してたでしょ」
私はそのとき自分の顔を鏡で確認したりしていなかった。だけど、鏡で確認しなくたって、自分がどんな顔をしてるのかわかるときは間違いなくある。
「そんなこと……」
そのあとに否定の言葉を続けられないと理解していながらつぶやいた私に、菜々さんはあくまで優しく、だけどはっきりその事実を認めさせた。
「ない?」
「……ごめんなさい」
答えになっていないその言葉だったけれど、その意味が「ある」なのか「ない」なのか、菜々さんにはもちろん伝わったと思う。
「別にいいよ。謝らなくて」