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 ゆっくりと、なるべく1人でじっくり読み直した方がいい。いや、そうしないときっとダメなんだ。そう思った私は、昼休みになるまでかばんからそれを取り出すことはなかった。
 授業と授業の合間の休み時間は短くて、考え事をするにはゆっくりはできないし、そもそもいかにお嬢さま学校と名高いリリアン女学園であっても、元気な盛りの中学生の教室が休み時間に静寂に包まれるなんてことはあるわけがないから。
 加えて私は自分の外の音を全て遮断したり、自分の周りに他人を寄せ付けない空気を作るといった技能は持っていなかった。だから最初からわかっていたのだ。集中できない以上はそれができるときまでは待つしかないんだと。もちろん、待っているその間にそれが気にならなかったと言えば嘘で、ずっと私はそのことを気にかけてはいたけれど。
 昼休みになり、いつもより少しだけ早くお昼を食べ終えた私は、特に誰も見ていないだろうけど、なんとなく隠すようにかばんからそれを取り出して制服のポケットに滑り込ませた。真美さまが折ってB5サイズになっていたそれをもう一折りして。
 どこに行けば1人でゆっくり考えられるだろう。真美さまに応えられる何かを見つけられるんだろう。そんな風に思いながら教室を出る。そのときだった。
「あ、なっちゃんなっちゃん」
「ん?」
 教室の中からかけられた声に振り向くと、その声の主であるクラスメートは私を追うように廊下に出てきた。教室の入り口から避けると、壁に身体を寄せる。私はその姿にパッと「何か内緒の話でもあるのかな」って思った。
 できれば今はやめてほしいのだけれど。そうは思いながらも私もそれに倣って少し小さくなって尋ねる。長い話になりそうならまたあとでってことにしてもらおうと決めて。
「何?」
 すると、返ってきた用件はこうだ。
「なっちゃんさ、今日の朝話してた人いたでしょ。高等部のお姉さまで。あの人って誰?」
「え……」
 ドキッとして、思わず私はそのクラスメートの顔を凝視してしまった。だけど、動揺なんて悟られるわけにはいかないし、私自身だってこの程度のことで動揺するのは嫌だった。だから私は、努めて穏やかに、努めて冷静に事実を答える。
「……っと、お姉ちゃんの妹の人だけど」
「あ、なんだ。そうだったんだ」
「うん、そう」
 それは拍子抜けという感じだろうか。その友人が何を期待していたのかはいまいちわからないけれど、でも、とりあえずはそれで納得してもらえたと私は思った。
「それがどうかした?」
 と一応言葉では尋ねつつ、話を切り上げるために「だから、もういいよね?」って顔をする。そして、その私の意図はどうやらちゃんと伝わったみたいだった。
「ううん。ちょっと気になっただけ。いつものお姉さまとは違う人だったから」
 その子の「引き留めちゃってごめんね」という表情に、私は今度は「別にいいよ」って顔を作って答えた。変なことにはならずに済みそうだと、ほっと胸をなで下ろしながら。
 けれど、その子の期待が外れたこととマリア様のいる天ではどこかでつながっているのだろうか、それとバランスさせられるように、私の期待も裏切られることになったのだ。
 クラスメートは残念そうにつぶやく。
「なっちゃんてスールの話であんまり盛り上がらないから、実はもうスールの約束してる人がいたりするのかなって思ったんだけど」
 そして、念のためという風に私の顔をじっと見て。
「じゃあ、あの人はなっちゃんのお姉さまになるわけじゃないんだね」
「……」
 正しい言葉と言われたい言葉は違う。自分で思って平気なことと、他の人から言われて平気なことだって。
 よかった、と。無邪気に笑うその子にはきっと悪意なんて欠片もないだろう。その言葉だって、どういう経過をたどって導き出されたかはわからないけれど間違いなく正しかった。でも……。
「……ごめん。ちょっと私、行くところあるから」
 その言葉に私はクラスメートと同じように笑うことはできなかった。逃げるようにその場から去る私は、一度心の内側に入り込んでしまったその「言われたくない言葉」がどうしたら出て行ってくれるのかわからなくて、苛立つように怯えるように、ただ早足で両の足を動かすしかなかった。


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