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マリア祭当日は、それこそマリア様のお心のように曇りなく晴れ渡ったいいお天気だった。
幼稚舎の園児たちが大天使、花まき天使、小天使といったそれぞれの扮装で歌を口ずさみながらパレードする光景は毎年のこと。だけど不思議なものだ。少なくとも私は、それが単に1年に1回のことだから見慣れないということではなく、自分が年を重ねていくことによって、毎年、1年前よりもその姿に微笑ましい気持ちを覚えていた。
可愛いなぁ、と素直に思う。
例えば、「将来何になりたいか」という質問に、私には決まった答えはなくて、だからこういうときには「幼稚園の先生」になってみたくなる。それはプレゼントの花束を考えているときは「花屋さん」に、美味しいデザートを食べているときは「お菓子屋さん」にと、ころころ変わってしまうものなのだけれど、でも、そのときはそのときなりに少しだけ真剣に将来の自分の姿を思い描いてもいるのだ。
ただ、これまでは本当に決まった答えのなかったそれにも最近少しだけ私の中では変化が起きているような気もする。それはこういう何かがあるときにはあまり抵抗もせずひっくり返ってしまうくらいだからすごく強い気持ちではないけれど、どんな仕事なのか少し知りたいと思う職業が1つあるから。「図書館の司書さん」、そんな変化はもちろん春を待って……いたか、いないかは難しいところだけれど、いずれにしてもほんの3か月前からの新しい習慣によるものに違いなかった。
それが学校の図書館でも、それが街の図書館でも、私は図書館というその場所、その空気が好きなのだと思う。たった2つじゃサンプルとしては不足かもしれないけれど、でも、どこか他の図書館に行ってみたとしてもきっと、私はやっぱりその場所のよさを見つけて心地よさを感じるだろう。予感のような自信のようなそういう感覚が私にはあった。……まあ、将来についてのその話は今は置いておくとして。
(今日は気持ちよさそう……)
私はまたパレードする天使たちに思った。
広大な敷地に幼稚舎から大学までを揃えるリリアン女学園の幼稚舎から中高等部の敷地まではあまり近いとは言えない距離がある。それは中学生の私の感覚でそのくらいだから、幼稚舎の園児にとってはちょっとした遠足だ。真夏だったら空に太陽しかないというのは辛いけど、今の季節ならお日様も優しい。今日は最高の遠足日和に違いない。
足取りだけでも楽しげな様子のわかるそんな天使たちと花で彩られたマリア様。他の教会からいらした神父さまによるミサ。
マリア祭、それは今年もすごく楽しいというものではないけれど、リリアンに通っていてちょっと得をしたと思えるような、そんな1日だった。
そして、そのいつもとは少し違う1日の放課後に、私はいつもどおりに図書館に足を運んでいた。今日は街の図書館の方。
若草色の風が爽やかで雲1つない空の下を歩くのはとても気持ちいい。その道すがら、私は幼稚舎の園児たちと同じ楽しさを分けてもらえたような気がして、自分でも歌を口ずさみたくなったり、ちょっと口ずさんだりした。
(とりあえず本を返して……)
それから何を借りようかな。もちろん図書館の中では歌なんて口ずさんじゃいけないし、足取りだってあんまり軽いのはよくないということくらいの分別はある私は、ドアの内側に入った瞬間から気持ちをウキウキからゆったりに切り替える。
借りていた本を返却し、目当ての書架に向かう。すると……。
(あ……)
思わず、私は小さな驚きを口から漏らしてしまいそうになった。だってそこに私に小さな驚きを感じさせる人がいたのだから。
私はその人を知っている。でも、その人は私のことは知らないはず。だから私は自分の驚きを悟られないように、その人が眺めている(私の目当てでもあった)書架から一旦離れることにした。だけど。
「ごきげんよう」
聞き慣れた挨拶のその言葉。リリアンでは一般的だけど、学園の外ではあまり耳にすることのないそれが、そんな私にかけられたのだ。背表紙の並ぶ書棚から視線を私に移したその人の口から、図書館というこの場所で許される限りの抑えられた声の大きさで。
「ご……ごきげんよう」
周りに人はいない。それが完全に私にかけられたものだと理解してたどたどしく挨拶を返した私はどうしていいのかわからなかった。ただ、そこから離れられなくなったことだけが確かだった。
制服ではなく私服。白のブラウスにクリーム色のカーディガンを重ねた林浅香さまが柔らかく、私を見つめて微笑んでいた。