− 100 −

 その歓迎会では薔薇さまから1人1人おメダイを首に掛けてもらえて、そのあとに例年、山百合会が余興として何か出し物をしてくれるらしい。
「去年は、つぼみだった今の紅薔薇さまが『アヴェ・マリア』を演奏してくれたわね」
「へえ、そうなんですか」
「そう。さすが、なんて言うと失礼かもしれないけれど、かなり上手かったわ」
 お聖堂の中で聴くオルガンの音色は厳かで、すごくよくてね、と。その人は手繰り寄せたその記憶がとても鮮やかなものなのだとわかるような口調で語って聞かせてくれた。
 楽しそうに話す人とのお喋りというのはこっちも楽しくなるもので、それが自分にはまったく興味のないことだと困ってしまうこともあるけれど、少しでも興味のあることならそれだけで楽しくなる理由は十分。まして、それが自分にとって会えるだけで嬉しい人なら文句なんて欠片も存在するはずがない。
 ゴールデンウィークが明けて2日目。久しぶりに会ったその人は珍しくウキウキとした空気をまとっていた。仮に姉がそんな様子だったらきっと不安を感じて理由を問い質しそうなその人、つまり山口真美さまが。
 いつもはキリリとした雰囲気なのにどうしたんだろう? それはもちろん変でも不気味でもないけれど、やっぱりちょっと不思議な感じ。だから私は、その新入生歓迎会についての話が一区切りすると尋ねた。「真美さま。何かいいことあったんですか?」と。
「あったように見える?」
「ええ。私には」
 あったように見えるかなんて、そもそもそういう印象を覚えていなかったら聞いたりしないと思う。だから私は答えたあとに、わずかに不満げな口調を作ってそんな当たり前のことも付け足しておいた。
「それに、見えなかったら、たぶん聞かないと思います」
「あ。そうよね。確かにそうだわ」
 今日の真美さまはこんな受け答えからしてずいぶん違う。元々そう思っていたわけだけれど、どうやらいいことがあったのは間違いないみたいだ。しかも、その「いいこと」はよほど真美さまにとって嬉しいことだったのだろう。私はそう思いながら目の前の笑みを見つめる。
 すると、真美さまはゆっくりといつもの落ち着いた表情に近付いて、そして今度は今の今までのただ愉快そうな笑みとは違う、どこか真剣さを帯びた微笑みでつぶやいたのだ。
「なつちゃん、鋭いのね」
 ごくりと息をのむ。私は自分がそういう評価には当たらない人間だということくらいこれまでの人生から十分わかっていたけれど、あえて真美さまがそう言うのだとしたら今日に限ってはそうだったのかもしれないとも思ったから。
 そんな1つ間を置いた刹那、私は思い至ってはっとした。だから、用意していた「それで、何があったんですか?」という言葉も、瞬間的に湧き上がると完全に私を取り囲んだ強力な緊張のせいで声にできなかったのだ。
 そして、代わりに私の口からは思い至ったそれが滑り落ちていった。そうだとしたら、それは今日の真美さまを説明するのに余りある「いいこと」に違いないもの。もしかして……。
「……妹を?」
 ガチガチに固くてわずかにおびえるようなそんなつぶやきが、私の心境をはっきり表していた。だけど、私の心境と真美さまの心境は違う。対する真美さまはそんな私とは正反対に、口調のリズムも声色の明るさも本当に嬉しいことなんだって語るような声で答えたのだ。
「そうなの。私ね。白薔薇さまの妹になれることになったの」
「……」
 私はただ絶句していた。その答えに何も言葉が出なかった。
 ただし、それはある意味予想と重なるような状態ではあったのだろう。だって私は、自分がきっと言葉を失ってしまうという予想を確かに持っていたから。そう。それがもし私の思い至ったとおりの答えであってくれたなら、それはこれまでの私とこれからの私にとってとても大きな足跡になる瞬間だったはずなのだから。それを受け止めてなお声や言葉を出せるとなんて、私は自分に自信は持てない。
(ああ、そうか)
 だからかもしれない。私はようやく力なく「……はあ、そうですか」と返すことができたあとで思った。だから私は、実際に返されたそれと自分の覚悟していた答えとのあまりの落差に、結局同じ「言葉を失う」ということしかできなかったのかもしれない、と。
「あれ? なつちゃん、驚かないわね」
 おかしいな、とでも言いたげな真美さまを私は苦笑もできずに眺めた。私はもしかしたら、出会ってから初めて真美さまにこんな感情を抱いたんじゃないだろうか。頭が冷めて、心と身体に瞬間帯びた熱も緩く落ちて。
 つまりこのとき、私はがっかりしていたのだ。


前のページへ / ページ一覧へ / 次のページへ