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 長い休みも最終日となれば、遊び疲れていてもまだ遊び足りないような感覚になったりして、明日からは学校なんだなぁなんて思うと、とにかくあと1日も目一杯遊ぼうと朝から落ち着きがなくなったりするものかもしれない。
 ただ、残念なことに私は元々あまり遊び歩くということに熱心なタイプではなかったから、ゴールデンウィークなんてありがたい名前の付いたその少し特別な休みにも遊び回ったということがなかったにもかかわらず特に遊び足りないという感覚もなくて、その日も比較的平穏に1日をはじめていた。宿題も終わらせてあるし、若干退屈な連休最終日の朝だったのは事実だったのだけれど。
 ゴールデンウィークは春休みや夏休みと違って子どもだけの休日じゃない。だから私は、家族で過ごすという計画の中にいるかもしれない友達に電話をして予定を入れるといった行動をしてまで、自分のそんなあいまいな退屈さを発散させようという気にもならなかった。つまりそれは正直に言えば、やっぱりちょっと暇という状態だったのかもしれない。
 築山家としてのゴールデンウィークは4月のうちに家族揃って出かけたことで一応済んでいるし、それに今日は父と母は一緒にお芝居を観に出かけるという話で、それはときどきある夫婦水入らずのデート。娘としても仲のいい両親はもちろん好ましいことだから、お邪魔虫になるつもりなんて毛頭なかった。
 というわけで、1日の予定は昼食の時間から献立、夕食のタイミングからメニューまで白紙。いや、もちろん食べることしか考えていないわけじゃないのだけれど、勝手な焦りも消し去った私には心配事はそのくらいのもので、とにもかくにもその日、私は自由だったのだ。
「あ、なっちゃん。ちょっとちょっと」
 と、そんな私が呼び止められたのは、夕方からのお芝居にお昼前から出かけてたっぷりデートをしようという両親の出掛けのこと。呼び止めたのは母で、その用件はこうだった。
「はい。これお昼と夜の分ね」
 食事代の支給。それは確かに必要なことであり必要なもので、そのときどきで渡されるのは姉だったり私だったりするのだけれど、今回は私だったらしい。ただ、その特別珍しくないことにも、そのときの私の反応は「あ、ありがと。行ってらっしゃい、お母さん」ではなかった。
「え……」
 差し出されたそれに一瞬考えてしまった。そして私は、それから頭に浮かんだ「こんなにくれるの?」なんて大げさに喜んでみる、という考えは当然打ち消して冷静に返すことにした。苦笑いと一緒に。
「……こんなにいらないけど」
 だって、姉と私、2人の2食分としても食事代に5桁のお札が1枚さらりと出てきたら、それは間違いだと思うのが普通だ。築山家は娘2人をリリアン女学園に通わせられるくらいだから貧しいなんて言ったら罰が当たるだろうけど、だからと言ってお金が余っているような家庭でもない。宝くじに当たったという話も聞いてはいないし、娘2人に1食2500円なんて豪勢な食事を取らせていたら、すぐに家計は火の車になってしまうだろうから。
 私のそんな反応に母も苦笑した。ただ、それは私の考えている意味とは少し違うもののようだったけれど。
「やっぱりなっちゃんはそう言うわよね。これが三奈ちゃんだったらきっと大喜びしちゃうところなんだけど」
 確かに。姉だったら私が打ち消した方の反応を選ぶかもしれない。私は、だとしたら私も母の予想を裏切ってそんな風にしてみたらどうなったのかとほんの少しだけ思ったけれど、それは単にたしなめられるだけだという結論に達すると、お釣りを返せばいいんだなって納得した。母のお財布にはたまたま今、細かいお金がなかっただけだと。
 だけど、どうやらそれも違ったらしい。母は続けて言ったのだ。私のその合理的で家計にも優しい判断とはかなり温度差のある言葉を。
「でも、なっちゃんもときどきはそんな風に言ってもいいのよ」
「……え?」
「三奈ちゃんと2人で楽しんでいらっしゃい」
 映画でも、ショッピングでも、と。母の口にしたそれは、私の好きなように使っていいという意味でいいのだろうか? たぶん……いや、きっといいのだろう。それは損がまったくなくて得しかない話。
 ただ、それは私をかなり困惑させる使い道の指定に間違いなかった。嬉しいというより、まず私は困ってしまった。


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