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1年生のときはまずそこでの生活に慣れることが大切で、2年生になればそこでどれだけ充実した日々を送れるかが大事、3年生になったら今度は次の場所に向かうための準備をしなきゃいけない。
そんな風に学校生活というものを大雑把に捉えてみたなら、3つ違いという年の差の姉と私は高等部と中等部という違いはあるにしても同じとき同じ学年だから、同じ時期に同じような課題に取り組んでいるということになるのかもしれない。
ただ、どんな姿勢で逆立ちしたって私が姉との年の差を縮めるということはできない以上、姉は常に私の先を歩くことになる。だから例えば数学の問題が学年が上がるたび難しくなっていくように、仮に私が何か壁にぶつかって前に進めなくなってしまったとき、その経験のある姉は私を助けられるかもしれないけれど、その逆というのは基本的にできないことなのだ。……その壁が仮に数学だとしたら姉に教わろうとは思わないけれど。
とりあえず、勉強を姉に教わるのはもう懲りている。尋ねるたびに「……えーと、これは何だったかしらね」とか「たぶんこうだったような……、あれ、違うわね」なんて言葉を聞くのはがっかりするし、あまつさえ諦めて自分で解こうとしている横から「なっちゃんなっちゃん。わかったわ。わかったわかった」と、独自の数学理論を打ち立てた上、独自の解答を自信満々に渡されるのは困るから。
いずれにしても、そんな、私の家庭教師には今後もなることはないだろう姉は「高等部の」3年生になり、「中等部の」3年生である私には与えられない課題について考えなければならなくなった。それは大げさな言い方をすればこの先の人生の選択ということにもなるのだろう。普通の言い方をすれば高校卒業後の進路。ごく簡単な言い方をすれば受験のことだ。
リリアン女学園では幼稚舎から大学までの一貫教育を行っていて、そのエスカレーターは幼稚舎や初等部の頃に乗らないとあとからは乗るのはかなり困難なことらしいけれど、一度乗ってしまえば途中で降ろされるということはほとんどない。そして、その「ほとんど」に当てはまらない場合の1つが高等部から大学に上がるとき。
「三奈ちゃんもそろそろお勉強がんばらないとね」
そんな言葉を母が姉にかけたのは、ゴールデンウィークなのに宿題を終わらせてからも近所の本屋さんに行くだけでだらだらとしてしまった日の夕食のときだった。それが少し珍しい言葉だったから、その場にいただけの私にもそれは印象に残ったのだ。
両親は勉強のことにうるさいタイプではなかったけれど、それでも試験のときなど、その話題を口にしないわけではなかった。だから勉強をがんばってほしいというそれはさほど珍しいものではなくて、じゃあ何が珍しいかと言えば、それが姉限定だったこと。そして、そこに「も」が付いていたこと。だって、それはいつもは「2人ともがんばって頂戴ね」という形で告げられる言葉だったから。
築山家では、それが両親の教育方針なのかもしれない。姉と私、2人の娘は比較されるということはあまりなく育った。つまり、「三奈ちゃんを見習って」とか、その逆に「なっちゃんができるんだから」といった言葉で、両親が私たち姉妹に注意をしたり、あるいは励ましたりすることはなかったのだ。
もちろん、そのときの母の「も」が世間一般を対象としたものではなく、「なっちゃんのように」と、私を引き合いに出すような意味の言葉だったと断定することはできない。ただ、少なくとも私はそういうニュアンスもそのときにはそこにあるように感じて、その場に少し居づらくなったのだ。……私は何も悪いことはしていないのだけれど。
毎年、リリアン女子大学には高等部を卒業した多くの生徒が進学する。ただし全員ではない。リリアン女子大にはない学部学科というのももちろんあるからそれを志望する生徒なら他大学への進学をするし、大学ではない進路を選ぶ人もいるだろう。だけど、そもそもの前提として優先入学というリリアン女学園高等部からの内部進学の枠は高等部3年生全員を収容できるほど広くはないようだ。
高等部時代の成績で決まる優先入学の資格を考えると、姉の成績は母にそんな言い慣れない言葉を遣わせてしまったくらいだから、「安心」とはちょっと離れたところにあると表現すればいいのだろうか。姉自身にはどの程度自覚があったのかはわからない。ただその夕食のあと部屋に向かう途中で姉は、考えてみると当たり前なのかもしれないけれど、私にとっては少し衝撃的な言葉を口にしたのだ。
「夏休み前までかしらね、かわら版を作れるのは」
「……、!」
自分のことじゃないのにはっとした。それが高校3年生の部活動の引退時期として極めて一般的なものだとしても、姉の高校生活に占める新聞部、リリアンかわら版の大きさを私は知っていたから。そして、もし仮に姉がリリアン女子大に進まないときの、姉にとってのリリアン女学園で過ごす日々に残る時間を感じた気がしたから。
ただ、そんな微かに深刻な気配の混じった心持ちになった私に対して、そう口にした当人は全然違う気分でいたらしい。
「でも、リリアンかわら版を任すにはまだ真美は足らないのよね」
やる気満々といった具合で、母の言葉をいつの間にか私に押し付けた姉はそのあとうっかり逃げそこなった私を部屋に引っ張り込んで、滔々と、今後の新聞部の活動とリリアンかわら版の展開とスクープを狙っているターゲットまで語って聞かせたのだ。
ただやっぱり、私は薔薇ファミリーにはあまり興味が湧かなかったから、その話をほどほどに聞き流しながら考えていたのは別のことだった。それは姉が言った真美さまに「まだ足らない」ものについて。
どれだけ充実した日々を送れるかが大事な2年生で、実際新聞部では姉を補って余りある真美さまに記者としての能力が足らないということはないと思う。姉からすればそれは面白くないことなのかもしれないけれど、姉だってお姉さまだ。本当は真美さまがどれだけ優秀かは一番よくわかっているはずだ。だって、そうじゃなきゃ編集長を譲ったりなんてしない。
だけど、それでも姉からは真美さまは「まだ足らない」と見える。だとすれば、真美さまに足りないというそれは……。
もしもそれが私の想像通りなら、姉と私は同じことを願っているということになるのだけれど。