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 よくないところ、なんて言うと大げさだし失礼だと思うけど、菜々さんも冗談を言うときくらいもう少し冗談だってわかるような顔をした方がいいと思う。そうしてくれないと、もしかしたら本気なんじゃないかって心配になってしまうから。
「高等部に上がったら、薔薇さまにだってなれるんじゃないかって、私は思ってるよ」
 それはもちろん、勘が鈍い私も悪いとは思う。そこまで言われてやっとそれが丸ごと冗談だったってわかったなんて、菜々さんにも予想外だったのだろう。
「もお、菜々さんたらお上手ねっ」
 だから、そのあんまり大きな冗談に合わせるように、普段は絶対しない、ひどく無理のあるおどけた口調で応えた私に返ってきたのは、とても素っ気ない反応だけだったのだ。
「……まあ、別にいいよ。なっちゃんがそう思うなら」
 会話のテンポは難しい。そして、相手が言葉に乗せている意味を感じ取るのはもっと。でもやっぱり、菜々さんだってもう少し冗談っぽい顔をしてくれたらよかったのに。
 いずれにしても、約1か月遅れとはいえまだ4月。当日は春休み中だったから、一応それもエイプリルフールのうちだと私はちょっと無理矢理に納得して、午後の授業の鐘が鳴る少し前に菜々さんと別れたのだった。
 そんな風に昼休み、私は賢くて優しくてしっかり者で頼りになる狐につままれかけていたから、その日は放課後の立ち寄り許可を先生にもらうのを忘れていた。いや、もちろんそれは昼休みでなければならないということは全然なくて、放課後にもらっても特に問題はないものではある。だから、この日結局そうすることのなかった私はつまり、特別あの図書館に行かなければならない、行きたいという気分ではなかったのだ。行こうかな、とそんな程度で。
 ただ、図書館に通うということは私にとっては間違いなく習慣で、それはすでに築山なつの習性にもなっているのかもしれない。新しい図書館にそんな気分だったのなら、きっと普通その日は何もせずに下校するはずなのに、いつもよりも長くかかった放課後の掃除のあと、私は学校の方の図書館に足を向けていたのだ。
 かばんの中にはまだ読み終えていない小説があるから本を借りる必要はない。そしてそれは電車や家で読もうとしているものだから図書館の閲覧室で開く気なんてないし、あるいは何か新しい本を探したいという意思があるのかと言えば、それも疑問に思わざるを得ないところだった。
 足を踏み入れてもふらっと2周くらい回ればそれでおしまいなのだろう。だから図書館に足を運んだ理由を仮に問われたとしても、そのときの私からは「なんとなく」以上の答えはどんなに振っても落っこちてはこなかったに違いない。
 だけど。
 そんな図書館の空気を吸いに来てるだけのようなあいまいな私も、その建物の扉の前、それに手をかけようとしたちょうどそのとき「なんとなく」よりずっと確かな理由を見つけられた気がした。だって、私が開くよりも先に扉は内側から開いて、そこにいたのはこのときの私にとって一番気になっているその人だったから。
「あっ……」
 顔を見合わせて2人ともつぶやいた。外側の私だけじゃない。内側のその人も。
「ごきげんよう。なっちゃん」
「はい。ごきげんよう、真純さま」
 偶然なのに、なぜだか偶然じゃないような感覚に少しドキドキした。それから、扉をはさんだままでいるわけにはいかないから図書館の脇に2人移動する。その間に私は中等部では真純さまのことらしい話題が広まっていないことを思い出し、密かにほっと心を落ち着かせていた。そしてゆっくり、隣り合う真純さまに視線を移す。
 と、なぜだろう? そこにある表情は真純さまも、いや、真純さまの方が何だか私よりもほっとしているような、そんな様子を感じさせるものだった。


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