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 そんなことがあったからなのかは定かではないけれど、いずれにしてもその真純さまに関することらしい話題は私の周りでは耳にしなくなった。それは実際は「私がそこにいるときには」だったのかもしれないけれど、それでも、少なくとも私が再び友人の言葉を遮ったりするようなことはそれからは一度も起こらなかった。
 考えようとしなくたって私には予感がしたわけだし、たぶん、私という存在のフィルターで引っ掛かるということはクラスメートが持っていた真純さまの話題はあまりよい方向のものではないのだろう。そんな予想は簡単についた。だから私は、姉がどうして「どうしても」なんてわざわざ尋ねたのかも、なんとなく納得したのだ。
 姉の望みである、「知らないなっちゃん」ということを考えるなら、そんな風に周囲からその話が消えたことは望ましいことだったろう。そしてそれは、真純さまのことが好きで、真純さまのよくないところなんて想像もつかない私自身にとってもきっと同じだったと思う。
「まあ、人が嫌がるようなことをわざわざ話すなんて、普通しないよね」
「うん」
「あ、もちろん私も聞いてないよ。その、真純さま? の話」
 そんな事情を話して、私の周り以外の様子を聞いてみた菜々さんは淡々とそう答えて、話題が私の知らないところでも特に広がってはいないと教えてくれた。
「そうなんだ。よかった」
 私はほっと息をつく。例えばそれが自分にとって耳に入れたくないことだとしても、それが知らなきゃいけないことなら耳を塞ぐことだけを守っているわけにはいかないだろう。だからよかった。
 どうやら私だけが頑なに耳を閉ざしているわけじゃないらしい。それならそれは元々大きな噂になるようなものではなかったのかもしれない。だとしたら、なおのことよかった。
 そして、私がぼんやりとこのまま何事もなければいいな、なんて思っていたときのことだ。隣の菜々さんの口からくすりと音が漏れた。聞き間違いじゃなければ、いや、聞き間違えるわけがなんてないけれど、たぶんそれは小さな笑い声。何だろう?
「……菜々さん?」
「あ、ごめん。……ちょっと1人で納得してて」
 尋ねると、菜々さんはほんの小さな表情の変化で「失敗したな」って心境を表してみせた。いつもながら菜々さんは面白い。私はその最小限とも思える微かな動きにうっかり感心して、すごいなぁなんてうっとりしそうになったけど、もちろんそのまま菜々さんの納得に1人置いてきぼりにされたままでいるわけにはいかなかった。改めて尋ねる。
「納得って何を?」
 すると、菜々さんはやっぱり口許と目元だけのわずかな動作で諦めた様子を表して答えたのだ。
「うん。変な意味じゃなくてね。なっちゃんが言うことだし、その子も言わなくなったんじゃないかなって」
「……え? どういうこと?」
 ちょっと意味がわからなかった。いや、わからないというのとは少し違うかもしれない。そう、私が菜々さんの納得に自分もすっきり納得できなかったのは、菜々さんのその言葉が「私が嫌う話だから私の周りではしない」というのとは少し違うニュアンスを含んだ何かだったから。
「そういうところが、なっちゃんのいいところだよね」
「?」
 だけど、私の理解が追い付いていないのに、なぜか菜々さんは今度ははっきりわかるように微笑むのだ。
「なっちゃんはさ、自分では全然気付いてないみたいだけど、えーと、何て言うのかな? そう。一目置かれてるの。私たちの学年では皆から」
「そんなこと……」
 私はそこにあった少し違うニュアンスのあまりの突拍子のなさに苦笑した。菜々さんは何を言ってるんだ。築山なつより有馬菜々の方がずっとみんなに認められて、一目置かれてるのに、と。だけど、菜々さんはその冗談に訂正をすることもなく自信満々といった表情で話を打ち切った。
「まあ、信じなくてもいいよ。事実は事実だから」


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