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 翌日も、その翌日も。私は電車に乗る前のホームで真純さまに会って、そのときも真純さまは明るい表情ではなかった。校舎に向かっていくときは何か緊張をほぐすように必ず1つ息をついて、でもそのせいでかえって緊張しているようで。
 私は習慣になっていた朝の電車での読書は3日続けてできなかったけれど、もちろんそれよりずっと真純さまの様子の方に意識が向いていたから、私なんかが言うのは失礼なのかもしれないけれど、やっぱり読書よりずっと心配が勝っていたのだと思う。仮に真純さまと顔を合わせなかったら本を開くことはできただろうけど、でも、その世界に集中することはたぶんできなかったと思うくらいに。
 本人に「どうしてですか?」と聞くことはやっぱりできなかった。だけど私は、自分がとんちんかんにも「元気、出してください」なんて口走ったとき、それが真純さまの迷惑にはなっていなかった……いや、ほんのちょっと、ほんのちょっとくらいは真純さまの力になれたと思ったから、私に何かできることがあるのだとしたら、もっともっとしたかった。
 だから私は、本人ではなくその理由を知っていそうなところに聞くことにしたのだ。真純さまは私と仲良くしてくれて、いろいろ教えてくれる先輩だけど、でもそれより先に真純さまは姉の友達だったから。
 夜、部屋を訪ねて私は切り出した。
「お姉ちゃん。真純さま、何かあったの?」
「え……」
 その私の質問は漠然としすぎていただろうか? 姉は一瞬不思議そうな表情で私の顔に焦点を合わせると、なぜか考えるように黙り込んだ。でも、何だろう? 私にはその反応は質問の意味がわからないというものではないような気がした。
「お姉ちゃん?」
 その反応の意味を分析するように姉の顔をのぞき込む。そして数秒、姉にはちゃんと伝わっていると私が思いを深めたそのとき、ようやく言葉が返ってきた。
「……それを聞くってことは、真純さんに何があったか、なっちゃんは知らないのね?」
「うん……」
 そう。だから今、聞いている。私は質問に質問が返ってきたことに思いながら、でも次の瞬間気付いてはっとした。だってそれは……。
「あっ……。じゃあ、やっぱり何かあったの?」
 姉が、私に知らないのかと問うということ。そう、それはつまり真純さまには間違いなく表情が重くなるような何かがあったということだから。そして姉は、そんな私の思考を肯定する。
「……そうね。あった……いや、ある。……かしら」
「……」
 たぶん、私にとってこのとき一番望ましい答えは、私の想像がまったくの勘違いで分不相応な心配が杞憂になるような、そんなものだったのだろう。だけどその理想は完全に外れ、そして私は急に怖くなったのだ。だって姉がひどく言いにくそうにそう答えたから。正しい言葉を選ぼうとして過去形から言い直したから。
 姉の口調だけで、それが簡単で気軽な話じゃないということを理解できる。だから私は、何かしたいとか、何かできるなんて考えていた自分がいざ本当にそこに理由があるとわかると何もできない子どもだという現実を思い出して、その真純さまにのしかかっている重しが何なのか聞くことなんてできなくなった。
 自分から話を切り出しておきながらそうして沈黙する私に、姉はまるで言い含めるように尋ねる。
「ねえ、なっちゃん。なっちゃんは真純さんに何があったか、どうしても知りたい?」
「それは……、」
 知りたくない。そう答えるのはたぶん嘘になるんだと思う。ただ、知っても何もできないのに「どうしても」だなんて、どうして言えるだろう。私は首を横に振った。どうしてもじゃない。すると姉は「そう。よかった」とうなずいて、それから小さく漏らしたのだ。「知らないなっちゃんがいてくれて」と。
「え……、どういうこと、お姉ちゃん?」
 知らない私がいてよかったって……? その意味がよくわからない方向の安堵の言葉に尋ねた私だったけれど、それに返ってきたのは本当にときどきしかない、姉らしくない真剣で真面目な顔だった。
「なっちゃんは今までと変わらずにいてあげて。きっとそれが、今の真純さんにはいいことだと思うから」


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