− 82 −

 その春に卒業するたった1人の人はすでに送り出していて、4月までにと思っていたことにも区切りがついた。そこに親しい上級生は特にいない。そんな心境で眺める卒業式は、優勝が決まったあとに行われる消化試合のような、ほとんど感慨なんて湧かないものだった。
 張りつめた空気や厳かさ、そして薄っすらと漂う物悲しさ。そういうその日特有の空気がどこか足らないと感じる。
 そもそも高等部と違い、よほどのことがない限りは全員がそのまま高等部に持ち上がる中等部の卒業式なんて、主役の卒業生にとっても終業式と大差ないもの……とは言えないかもしれない。高等部と中等部には大きな差がある。そして、それを私は痛いほど理解していたのだから。
 だから、私と1つしか年の違わないその人たちは、卒業式に卒業という本来の感傷を抱くことはなかったのかもしれないけれど、その行事には確かな意味を感じていたのかもしれない。そういう意味では、それは終業式よりも高等部の入学式の練習になぞらえた方が的確かもしれなかった。
 野球やサッカーにそれほど詳しくはないけれど、消化試合と言ってもそれは試合なのだから、それが無意味ということはない。ただ、そこに見出される意味にはわずかに変化が生じている。
 でも、たとえ選手である卒業生がそんな風に考えていたとしても、それは仕方のないことだと私は思っていた。だって観客である私も別れを惜しもうとか、卒業を祝おうといった目ではなく、そこに違った視点を持ち込んでいたのだ。だからおあいこ。
 この中に、真美さまの妹になる人がいるのだろうか?
 いつの時点で生まれたのか、最初ぼんやりと浮かんだその疑問に少しずつぼんやりとした思索を加えていき、最後に私は少しだけ鮮明な結論を出した。きっといるのだろう。この中には、その私がなりたかったものになれる人が。
(リリアンかわら版を中等部時代から読んでいて、新聞部に入部する人……)
 その私が心の中でつぶやいた結論はまだまだ漠然としていて全然その誰かを特定できるようなものじゃなかったけれど、それでもきっとこの答えは自然に考えた限り一番のものだと思う。
 高等部には外部受験をパスして入学してくる、例えば真純さまのような人もいるけれど、それはやっぱり少数で、大部分はこうして卒業をした中等部からの内部進学者で占められるわけだし、姉妹は元々何かつながりがあるということでなければ、私の姉だってそうであるように部活や委員会の先輩後輩でなる可能性が高い。
 新聞部への入部動機の標準的なものが何なのかはよくわからないけれど、新聞部はリリアンかわら版という学校新聞を発行するところだから、元々リリアンかわら版を知っていなければ、新聞部に入部する理由がないような気がした。だから、「リリアンかわら版を中等部時代から読んでいて、新聞部に入部する人」。
 答え合わせは1か月以内にはできるのだろう。思いに区切りがついていなかったなら心穏やかでなんていられなかっただろうその考えにも、私は比較的楽観的な心持ちでいられた。きっとそれは、姉のお姉さまも、真純さまも、真美さまも、高等部のその人たちには「はずれ」なんて1人もいなくて、皆、出会えてよかった人ばかりだったから。
『なっちゃんを嫌うような子、真美が選ぶわけないわ!』
 そんな姉の言葉も胸の中にあったからかもしれない。きっと大丈夫。その人とも仲良くなれる。私は無理矢理ではないけれど、少しだけ自分に言い聞かせるようにそう思った。
 そんな中。
「送辞」
 静まり返っているのに、どこか真剣ではないようなその式場に、真剣そのものの緊張感をまとった声が響いた。
「リリアン女学園中等部を巣立っていかれるお姉さま方、ご卒業おめでとうございます」
 マイク越しのその声には不思議な力があったのだと思う。会場内の誰もが緊張を取り戻して、その言葉に耳を傾けていくような気がした。ただ代表として挨拶をする以上の何か、同級生であるその子の声にはそんな何かの存在を感じさせるような真摯さがそこにあって。
(あ……そうか)
 そして私はふと考え付くと、自分も遅ればせながらその言葉に意識を集中させた。そうかもしれない。彼女には送り出すこの中に、思いを向ける人がいるのかもしれない。儀礼的なその文章がはっきり息をしている。
 同じ学園の高等部と中等部、それはとても近い場所。けれど、違う校舎、違う制服。そこは近くても遠くて、限りなく遠い場所だから。
 届くといい。届いてほしい。それは私が自分の経験を勝手に重ねただけの勘違いであったのかもしれないけれど、私はその声に確かにそう思っていた。


前のページへ / ページ一覧へ / 次のページへ