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 何も返ってこないこと。それが私のこれからにとって最良の答えだった。そしてその理想に沿うように時間は流れ、あと4分の1ほどしかこの1日には残りがなくなっていた。だけど、それでも私はまだそれが答えだとは思っていなかった。1人電車に揺られているときも、駅から家までの道を歩いているときも、まだ。
 私の心の重心は「何も返ってこない」と「何かが返ってくる」では完全に後者の方にかかっている。それはひどく図々しく、ひどく自惚れが過ぎる考えだったかもしれない。そしてそれは、あの人の立場、あの人の性格を都合よく利用したからこそのものだったのかもしれない。ただ、私のその考えは間違いなく真実を捉えていた。
「なっちゃん。これ」
 姉は言った。先に帰宅していた私より30分ほどあとに帰ると真っ直ぐに私の部屋に来て、わずかに緊張のにじんだ口調で、ただはっきりと。
「真美からよ」
 その送り主の名前は告げなくても、告げられなくても伝わることは私たち姉妹はもちろん互いにわかっていたはずだ。でも姉はそれを言わなきゃいけなかったし、私はそれを聞かなきゃいけなかった。そう、だから私にとっては、そんな口調でも姉の口から出るとその人の名前がとても自然に響くということが何より救いだった。
「うん。……ごめん」
「なっちゃん。『ごめん』じゃないでしょ?」
「あ、うん。……ごめんなさい」
「……」
 これが姉の望む方向ではない受け答えであるということを、私はもちろんわかっていた。そして、姉が望む言葉の方が正しいのだということもきっと理解していた。でも、それはなんて難しいんだろう。感謝の思いを表す言葉は心に余裕があるときにしか出てきてはくれないのだろうか。それとも……、いや、それは単に私がわがままで卑怯というだけのことかもしれない。
「はぁ……」
 一時言葉を失って、それから「仕方ない」という風に息をついた姉は、呆れることを通り越して感心さえしていたかもしれない。諦めたようにその手の中にある包みを差し出すその顔は、お姉ちゃんにお姉さまをちょっとだけ足したような表情で小さく笑みを浮かべていた。
 私はどんな顔をしているんだろう? 姉の顔にそう思った私だったけれど、もちろんそれは自分ではわからないこと。ただ1つ、はっきりと言えることは、私は間違いなく築山なつの顔をして、手を伸ばし、そしてそれを受け取ったということだけ。
 ずしり、とは感じない。それよりはふわりの方にきっと近い。姉から私の手の中に移ったその包みは、私のそれほど強くもない腕の力から考えても重くなんてまったくなくて、でも、これ以上なんてないくらいに重かった。
 身体にかかる重さと、心にかかる重さは違う。秤では量れない重さがそこにはある。そう、それこそが真美さまが私にくれた、私だけにくれた答えなのだから。
 そっと両手で抱きしめるように包んだそれは、淡い黄緑の包み紙に水色でもピンクでもなく、少し明るい黄緑のリボンが結ばれている。形あるその答えは最良じゃないから、私のこれからを理想よりは少しだけ苦労の多いものにするのだろう。でも……。
 答えに形がある。これを幸せと言わずに何と言うのだろう。
 それは私が最後まで、最良の答えを返されることはないと信じていた気持ちに真美さまが応えてくれたもの。そして、それが姉の手を経て渡されたということこそ、築山三奈子の妹という絆を真美さまも感じてくれた証なのだから。
 姉がいなくなってから、恐る恐る解いたその包みに詰まっていたのは小さな可愛らしいクッキーだった。1つ口に運んで私は、クッキーはそんな風に食べるものじゃないってくらいにゆっくりと、ほろほろとそれがほどけていくまで味わった。
 甘くて美味しい。そのクッキーはとても優しくて、私は思わず涙を浮かべてしまっていた。


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