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 4月までに。そう思っていた間は流れるようにするすると進んでいた時間が、その数日間だけはゆったりと過ぎていった。ただ、私も知っていたとおりに、その速度がゼロになることは決してなく。
 3月13日の夜にベッドに入って目をつむると、目を開けたときは3月14日の朝。
 その夜くらいは不眠になってもいいかななんてちょっとだけ思っていたけれど、私はもしかしたら自分で考えているよりはちゃんと思いを制御できているのかもしれない。いつも以上にぐっすりと不眠の「ふ」の字の1画目もないような眠りで私はその日を迎えていた。
 ひどく心地いい寝覚めはあっという間に頭も冴える。だから私は、そんな風に中途半端に図太い構造の自分の神経に苦笑することも忘れなかった。
 答えの日。それは間違いなく特別な1日になるはずだけれど、私が何か特別なことをする必要はなかった。私はいつもと変わらずに築山なつでいればいい。私はその答えを受け止めるだけだから。
 そう。だから私がこの日、鏡の前で結ぶリボンにいつもより手間取ったのは、別にいつもよりもきれいに結ぼうとしたからじゃない。そういう気持ちが一かけらもなかったかと聞かれると困るけど、少なくとも私がいつも以上に時間をかけて結局そのときに作れたリボンの結びは普段と比べてそんなにきれいだと胸を張るようなものではなかった。
 緊張している。もちろんそれを否定することなんてできない。たとえ「いつもと変わらずに」なんて心に言い聞かせても、それによって私は心の全てをコントロールできるわけじゃないし、心だって身体の全てをコントロールできるわけじゃないから。
「なっちゃん、おまたせ」
「うん」
 そして、姉と一緒に家を出た。そうしなきゃいけないわけじゃもちろんなかったけれど、なんとなくそうした方がいいような気がしたのだ。玄関の外、姉を待っている間に見上げていた空は約1か月前に同じようなことをした日ほどに澄み渡ってはいなかったけれど、でも、今日雨はきっと降らないと思えるような空だった。
 お喋りな姉はかなりの話し上手でもある。きっと姉の保管している会話の種は私の数倍、数十倍あるのだろう。新聞部にもかわら版にも、そしてホワイトデーにも触れることなく続く会話に私は感心して、ちょっと感謝した。
 当たり前のことだけど、自分のことばかり見ているときには気付けないこと。暗い顔をしていて喜ぶ人なんていないのだ。もちろんそれがわかっていても明るい顔なんてできないときは間違いなくあるけれど、私のことを思ってくれる人にかけてしまう心配は少ないに越したことはない。そしてそれが迷惑なら、ない方がいい。
 姉の話に無理についていくのではなく、いつもどおりにほどほどの相づちを打っていると、姉もそれでいいと言うように喋り続けた。それは私たち姉妹が別れる場所まで。高等部と中等部の分かれるその場所に着くまで。1日の3分の1ほどしか経っていないその時間にはまだ答えは私の元には届かなかった。
 中等部の校舎に入り上履きに履き替え、靴箱に外履きを収めると、答えまでの猶予が一気に伸びたような気がして、そんな自分に「ばか」と言葉を投げた。
 何か物が返ってくるのだとしたら、高等部よりずっと持ち物に制限のある中等部の私に朝のうちにそれが渡されることはないだろう。そんな風に、元々何かがあるとしても朝という可能性は低いと思っていたのだから、それは予想通りだっただけのこと。ほっとなんてするのは間違いじゃないか。
 だけど、緩んだ緊張を取り戻そうとしてこっそり深呼吸をすると、それも違うと思った。無理に気を張っていなきゃいけないわけじゃない。緊張するときは勝手に緊張するのだから、緩めていいときは緩めておくべきだ。
 絶対ないとは言えないけれど、昼休みも答えの時間にはならないだろう。私はもう一度深く息を吸い込むと、今度はちょっと力を抜くように吐き出した。
 それが放課後なのか、それともそうではないのか。いずれにしても、答えが私に届くそのときまではまだ少しだけ時間があった。


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