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 イエローローズ。それは極めて端的に言えば、黄薔薇さまである鳥居江利子さまが援助交際をしているのではないかと思い込んだ姉が創作した事実とは相当に異なる内容の小説で、ただ、そこに描かれている人物は明らかに鳥居江利子さまを連想させるものだったから、その誤解を広めることは黄薔薇さまの名誉を傷付けることと同じ意味を持つものだった。
 なのになぜだろう? 菜々さんの予言は的中して、姉は何か処分をされることはなかったのだ。確かに姉はそのときからちょっと縮こまるように大人しくなっていたけれど、だからと言って本当に姉にはお咎めがなかったというのは、私は別にそうでなければらないとなんて望んでいるわけじゃないけれど、不思議なことだった。
 笑って済ませられることじゃないと思う。その感覚は私の方が普通とずれているということなのだろうか。
「そんなことないよ。でも、ちょっとなっちゃんは深刻に考えすぎちゃうんだよね」
 そんな風に言われたのが何度目かわからないけれど、私たちの距離だとそういう風に菜々さんに微笑の姿をした苦笑をされるのが普通のような気がした。そしてそのあと、私は決まって「……うん」とか、「……そうだけど」とかすっきりしないから、菜々さんは「仕方ないなぁ」って息をつく。そんな流れが。
 私だって、その流れは必ずしもいいことだとは思わない。だけど、私が私で、菜々さんが菜々さんである以上は、偶然よりは必然に近くそういう風になってしまうのだろう。ただ、それがいいとは思わない私も、少なくともこのときばかりはそれに密かにほっとしていた。今までと変わらない菜々さんとの距離に戻れたことを感じられて。
 新しい図書館でカードを作って通うようになったり、最後に姉のお姉さまと仲良くなれたり、菜々さんとまた他愛なく話せるようになったり、他にもいろいろあって、3月も中旬となる頃の私は確実に前に進んでいた。そのうちのどれだけが自分の努力の成果だと胸を張れるかは横に置かせてもらうことにはなってしまうけど。
 ただ、そんな風に私が進むよりもずっと、時間は着実に進んでいるから。
 私の心が落ち着きを持ちはじめたちょうどその頃、1つのイベントがテレビや街では少しだけ盛り上がりを見せはじめ、それはほとんど強制的に私に1か月前のその日を思い起こさせることになった。
 バレンタインデーの1か月後、3月14日、ホワイトデー。
 バレンタインにチョコの受け渡しができて、バレンタインデーに聖ウァレンティーヌスではなくチョコレートをイコールで結んでもいい高等部ならまだしも、バレンタインデーとチョコレートをイコールで結んだら大きなばってんを付けられる中等部ではその日は話題として成立しない。先生たちが目を光らせていなくても、中等部にはそもそもホワイトデーは存在しないのだ。
 そんな中等部にあって、私のようにその日をただ季節の風景としてじゃなく意識している人が全校生徒のうち、どのくらいいるのだろう? 答えはもちろんわからない。ただ言えることは、誰も自分がそうだなんて名乗ったりするわけがないし、私がそうであるようにそういう立場の人なら素知らぬ顔を通すだろうから、それを共通点につながりが生まれるなんてことはないということ。
 秘密は口には出せない。本当は私以外には誰も、決まりを破った子自体いないのかもしれないけれど、仮に私以外にもいるとするならばきっとその子は1人でじっと胸を押さえているに違いない。それとも……、もしかしたらその子も誰かに秘密を知ってもらっているのだろうか。
 私はそうであってほしいと、そんないるかどうかもわからない誰かのために少し祈ると、改めて自分が幸せなのだと強く思った。私には、私の心を支えてくれる人がいる。
「たぶん、真美さまのことだから何かお返しをくれると思う」
「……うん」
 真美さまのことは私の話からしか知らないはずなのに。その菜々さんの「真美さまのことだから」にはひどく説得力があって、私はうなずくことにわずかにためらいを覚えた。菜々さんの予言はよく当たる。それは証明済みだったから。
 私にとってとても敏感なその話は、きっと菜々さんにとってもわざわざしたいことじゃなかったのかもしれない。だけど、菜々さんはあえてそこに踏み込んでくれた。
 私ばっかり優しい気持ちをもらってしまっていていいのだろうか。ほとんど表情を変えない菜々さんが、実はちょっとおっかなびっくりに私の様子をうかがっているのを感じ取ってしまった私は思ったけれど、でも、私には何も返せるものがなかった。
 いつかちゃんと私も菜々さんを支えてあげたい。だから私は強く思って、だから今はただ甘えることにした。隣で話す菜々さんにちょっとだけくっつくと菜々さんはやっぱり温かかった。


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