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「大丈夫だよ。みんなあんまり早く号外が出たから、最初からそういう予定だったんだろうって思ってるし」
「……、そうだといいけど」
「なっちゃんは心配性だよね。別に三奈子さまに何か処分があったわけでもないんでしょ?」
「うん、ない。……みたい。……今のところは」
「たぶんさ、この号外にノータッチだったみたいに、少しの間、大人しくしてれば大丈夫だと私は思うよ」
「……うん」
 そんな、私の心配や気鬱をあまり払拭はしてくれなかった微かな笑みの予言を聞いていたときだ。そういえば、と私が気付いたのは。
 そういえば、こんな風に菜々さんとごく普通に話をしたのは少し久しぶりのことだ。あの日から、私たちはお互いに気安く話しかけることがうまくできずにいたから。
 あの日。それは私にとって何より特別な1日だったバレンタインデーの翌日。バレンタインには私に気付いてくれただけじゃなく、私の思いを許してくれた菜々さんに伝えそびれてしまっていた大切なことを打ち明けたその日のこと。
 菜々さんの考えている意味での「うまくいく」ことを私は考えていないのだと説明した私に、菜々さんは「どうして……」と、それ以外の言葉を失ってしまったように、そのいつも鋭く優しい瞳も焦点を定められないままに、問いを繰り返した。そしてその日から、私たちはお互いを気にしていながらも、隣のクラスというわずかな隔たりを越えることが難しくなっていたのだ。
 禁止されているチョコを、そうとわかっていながらあえて渡す。それは真面目で堅く、頑固で冗談の利かない築山なつという人間をわかってくれている菜々さんにとっては、私が本気であることを理解するのに十分な出来事だったろう。チョコを行く先を即答した菜々さんには、ずっと前から私の思いはわかっていたのかもしれない。真美さまが好きで、それはきっと、真美さまの妹になりたいと言い換えてもいい思い。私の中にある何より特別なその思いを。
 でも、そんな菜々さんにもそこから先の私の思考、私の行動は理解に苦しむものだったのだと思う。
 たとえ私にどんな思いがあろうと変えようのない事実がある。4月になれば真美さまは妹を作れる権利を得るけれど、4月になってもまだ私は中等部の生徒のまま。それはきっと真美さまの妹にはなれないということに等しいから、だから私はその日を私の全てとしてけじめをつけた。
 どうして、好きだと言わないのか。どうして、妹にしてほしいと言わないのか。どうして、そんな風に決めるまでにただの一度も相談してくれなかったのか。
 私は菜々さんの言葉にならない「どうして……」のあとに続く言葉のいくつかを確かに感じ取って、だけど「ごめん」と、「そう決めたの」としか言えなかった。
 わかってもらえなくても知っていてほしいなんて、エゴ以外の何物でもない。私はそんなこともちろん理解していたけれど、でも伝えた。わかってもらえないからと自分だけで抱え込んで知らせないことの方が、菜々さんをバカにすることだと私は理解よりもずっと強く思ったから。
「なっちゃんがそう決めたなら。……うん。きっと……」
「ごめん。菜々さん。……聞いてくれて、ありがとう」
 そのお互いの考えや思いが噛み合うことのない告白は、それから菜々さんと私のそれぞれに近付きたいのにすぐには近寄ってはいけないような、そんな気配を感じさせてきた。顔を合わせればもちろん挨拶も交わしたし、挨拶よりもう少し話したこともあったけれど、それもやっぱりどこかいつもの距離とは違うような気がして。
 きっと、私たちには時間が必要だったのだと思う。私が、ちゃんと新しい日々をはじめようとしていることを示す時間が。
「なっちゃんは、もっと楽にしていいと思う」
 そして今、そうちょっと諦めたように微笑む菜々さんは、今でも私のそんな決心に納得してくれたわけじゃないし、まして応援してくれるわけなんかじゃないのだ。ただ、その思いが特別であるからこそ、葛藤もすればそれにもがいてもいる私を本気だと認めてくれただけ。
 私もそれでよかった。わかってもらえなくても知っていてほしい。それこそ私が望んでいたことだったのだから。また普通に話せる。それがただ嬉しかった。私も菜々さんと同じような表情で返す。
「うん、わかってる。でも、難しいの」
 そして、私たちは示し合わせたように小さくため息をつき合うと、控えめに笑い合った。


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