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「なっちゃんは私のこと嫌い?」
どうしてか、再び歩き出してその人は聞く必要なんて全然ないはずのそんな質問をした。社交辞令とかおべんちゃらではなくて、私がそれにうなずいたりしない気持ちであることをちゃんとわかっているような様子で。
意図していることはわからなくて、だけど確かにそれには意味があるということだけはわかって、私はありのままを応えた。首を横に振る。
「いいえ。そんなことないです」
「じゃあ、私のこと嫌いだった?」
「……いいえ」
質問が過去形になると、答えは過去から持ってこなきゃいけない。私は過去にもその人の言うような状態であったことはなかったけれど、でも、ほんのちょっとだけ記憶をさかのぼった時間の分、今度は応えるのが遅れていた。同じように振った首がわずかに早く大きな動きだったのも、決してそれに動揺したからなんかじゃなくて。
「嫌い」とは逆の気持ち。少なくとも私がその人に向ける気持ちの今はその方向に傾いている。その角度は確かにすごく深くなんてないし、同じ築山三奈子の姉妹であるあの人に向ける気持ちとはまったく種類の違うものではあるけれど。だけど確かに。
それは言葉にして表さなければならないものなのだろうか? でも……。
小さな葛藤にちらりとその人の横顔をのぞき見る。するとその人は私のその密かな視線を間違いなく受け止めて、わずかに視線を空に投げるとただ、横顔のままでつぶやいた。
「私は、なっちゃんのこと好きよ」
そして、その人は全てを見透かしているかのように、私には同じ言葉を要求しなかったのだ。
「なっちゃんもちょっと、複雑だっただけよね」
「……」
首を、縦にも横にも振れない。
姉に姉ができたことを知った日、その姉のお姉さまであるこの人に初めて会った日、誕生日から少し経っていたのにくまのぬいぐるみをもらった日、思い出す全てをそれで片付けていいのだろうか?
うまく会話をできなかったことを、近付こうとしなかったことを、もらったぬいぐるみに名前を付けなかったことを。私が本当の本当は、今とは違う方向に気持ちの針を振れさせていたかもしれない瞬間を、その一言で許してくれるというのだろうか?
疑問符の付かないその問いが、速度のまったく変わらないその歩みが、その答えを告げていた。だからこそ私は思わなければならなかったのだ。そんなにも、私は甘やかされていいのだろうか? と。
ふわっと風が吹き抜ける。冬の色を持たない新しい季節の風。前髪がほんのわずかに乱れ、だけど次の瞬間にはもう直っている。さらりと、驚くほど自然にその人の指がそれを直してくれたから。
だから私はやっと、答えることができたのだ。
「……はい。すみません」
この人はもう1人の妹の妹にはこんな風に接することはないだろう。それなら私は、きっと甘やかされていい。この人には甘やかされた方がいい。今日もまたわからなくなった姉妹というものへの感触は過去形にできないけれど、少なくとも姉のお姉さまであるこの人にはもうその言葉で片付けるべきだ。複雑だった。でも、今は違うから。
「もお、『すみません』は余計よ。なっちゃん」
ぐりぐりと、今度はその人の手が髪を乱す。遠慮なく触れてきたその温かさは完全に私を子ども扱いしていたけれど、私はその人に対しては完全に子どもだったから、嫌じゃなかった。
その人の手が離れるまでそれから少し、ひらりとまた風が吹くまでにはさらにもう少し、そしてもう少し。その人は内緒話のように打ち明けた。
「本当はね。私にできなかったことを悠々とこなす三奈子が少し……、羨ましかったわ」
わずかに考えるような間を置いた「羨ましかった」は、もしかしたら浮かんだ別の言葉を打ち消したものだったかもしれない。だけど私は子どもだから、その耳に届いた言葉だけを心にしまった。どんな感情にお姉さまが揺れていたのかは知る由もないけれど、ただ、その人は間違いなく本物の笑顔でずっと笑っていたから。
「なっちゃんも真美ちゃんもいる、三奈子は幸せ者ね」
図書館に着くと私は借りていた本を返し、目星をつけていた本を1冊だけ借りた。3分だけ待たせたその人との帰り道は、ずっとずっと他愛ない会話がつながっていた。