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 その人にとっても3月は、私とは違う意味だけれど残された最後の日々なのだ。むしろ、一般的に見ればその人の方がずっと間違いなくそこでおしまいだということが決まっている。だからきっと、4月までにと思うことも、4月まではと思うこともずっとたくさんあるのだろう。
 そう、その話になったのは姉のお姉さま、その人の進路をが決まったことを聞いて、私が一拍遅れて「おめでとうございます」と返したあとのことだ。
「何かやり残したことってありますか?」
 その質問を口にした瞬間、私は少し後悔した。だってそれは場つなぎであることが丸わかりだったし、質問としても漠然としすぎてる。それに答えだって「ある」に決まってるのだから。
「難しい質問ね」
 案の定、その人も苦笑して。ただ、わずかに真剣な顔で思案したあとのその人が返した答えは少し意外なものだった。
「ないと言えばもちろん嘘になるけど、でも、あまり多くはない……いいえ、あまり大きくはないわ」
「……そうですか」
 強がりとか諦めとか、私はそこにそういう色を見ることはできなかった。姉のお姉さまは本当にそう思っているのだと、素直に感じられる。「ええ、なっちゃんにも会えたしね」なんて、そんな言葉は付け足さない方がいいと思うくらいに。
 それから、4つも下の子どもに合わせてくれたのだろうか。それが単に共通の話題だったからだろうか。姉の姉は姉のことを引き合いに出して続けた。
「私を含め3年生が引退してから、新聞部はもうずっと三奈子を中心に動いてるし、三奈子のリリアンかわら版はとても好評だわ」
「……そうみたいですね」
「この前のバレンタインの企画、あれは企画自体もよかったし、記事もよかった。山百合会にあんな協力をしてもらえるなんて、すごいことよ」
「ええ」
「なっちゃん。私ね、あれを見てはっきり思えたのよ」
 あえてそこで私の名前を口にしたその人は、たぶん私になんとなくじゃない相づちを求めていて、それはきっと、ちゃんとこのあとを聞いてほしいのだと私にはわかった。小さく1つ呼吸を置き、尋ねる。
「何を、思われたんですか?」
 姉のお姉さまであるその人も小さく1つ息をつく。そして答えた。
「うん。もう、私はいらないんだなってね」
「なっ、……!」
 何を言っているんだ。この人。
 ギョッとして、私はその言葉を口にしたその人の顔を完全に凝視していた。姉がお姉さまを「いらない」だなんてそんな……、そんなことあるわけがない。
 だけど、きっとこれほど表情の対比がある2人もいないってくらい、その人は本当に穏やかでなぜか嬉しそうに言うのだ。
「私きっと、引退してもどこかまだ、三奈子には私がいなきゃダメなんだって思ってたのね」
 でも、そんなことなかったと、三奈子にはもう私の助けは必要ないと、その人は言う。お姉さまなのに言うのだ。
「どうして……」
 だから姉のことを「妹にしてよかった」なんて振り返るように言いに来たの? 私の動揺は足を交互に動かすことをやめてしまうほどだった。立ち止まり、私はただただじっと見つめる。私の姉の姉である、その人を。すると……。
「なっちゃん」
 ふわり。笑みがこぼれた。
「勘違いしてるわね」
「……勘違い?」
「そう、勘違い。私と三奈子が別れるみたいに思ってるようだけど、そうじゃないわ。言い方が悪かったかしら? 私はただ、安心して卒業していいんだって、そう思えたのよ」
 そして、その人は誇らしげに断言した。
「三奈子のお姉さまは私よ。それは卒業しても変わらない。ずっと。ずっと変わらないわ」
「……」
 何だろう、この気持ち。ほっとした? ううん、違う。そんな簡単なものじゃない。私がその言葉とその笑顔に感じていたのはたぶんもっと深い気持ちだ。姉妹って。お姉さまって。私にはそれは深すぎて、私にはそれはほとんどわからない。だから私は、ただこうして心を揺さぶられているだけなんだ。


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