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 どのくらいのスピードで歩けばいいんだろう? 予定していた「もうちょっとスピードアップ」はさすがに取り止めて、その人の左をたぶん普通の速さで歩く私はきっと困っていたと思う。歩くスピードは合わせてさえいればまだいいのだけれど、じゃあ、そもそもどうして一緒に歩くのかとなると、それがやっぱりわからなくて。
(図書館に興味が湧いた……?)
 その無理矢理にひねった考えは私自身だってバカらしいと思った。今さっき突然になんて、そんなことあるわけがない。だからそれと同じように、こうしてついてくるということが私の寄り道を監視するためなんかでももちろんないのだろう。私は最初からある程度わかっていて、そこから先が今もわからないから困惑してるのだ。
 すると、その人はそんな私に気付いて、しかもそれが何か面白かったのかまた少し口許を緩める。
「ごめんね、変なお願いしちゃって。なっちゃん今、すごく居心地悪いでしょ」
 笑いながらの「ごめんね」はあまり謝っている風には見えない。むしろそれはちょっと意地悪を楽しんでいるように見えたけど、私はやっぱり「はい。そうなんです」なんて答えることはできなかった。相手は姉の姉で4つも上の上級生。そう答えた方がいいのかもしれないとはちょっと思ったけれど、私はその冒険ができる性格ではなかったから。
「そんなこと、ないです」
 居心地が悪い。その指摘は完全に違うとは言えないような気はしたけれど私はそう返した。だって「すごく」なんて付けられたらまるで私が悪いみたいだ。
「あらそう? じゃあ、黙っちゃおうかしら」
「やめてください。困ります」
 子どもみたいなこと言わないでほしい。今度こそきっぱりと、私より下まで精神年齢を下げているかのようなその人に返すと、やっぱりさっき冒険をしても全然平気だったと私は感じた。そうしていれば今のこのやり取りは省略できたはずだ。
「ごめんね。楽しくてちょっと調子に乗っちゃって」
 その人は、そう言ってようやく姉のお姉さまの顔に戻ると「どうぞ」という空気をはっきりと出した。私もようやく気付く。その人は最初から聞かれるのを待っていたのだと。
「あの、私に何かご用が? 図書館が目的じゃないですよね」
「ええ、もちろんそう」
「……何でしょうか?」
「あ、そんなに警戒しないで。そんなに大げさなことじゃないから」
「……」
 私はそんなに警戒心をあらわにしているのだろうか? いや、そんなことない。確かにこの人と2人になったこと自体、記憶をたどってもどこにも引っ掛かるところがなかったくらいだからたぶんこれが初めてで、だからちょっと緊張しているだけだ。そう、それは「緊張」と言うのが正しい。むしろ「すごく」とか「警戒」とか、この人の言い方こそ大げさじゃないだろうか?
「卒業する前に、もう一度なっちゃんに会いたいと思っていたの。そう、できれば三奈子抜きで」
 そう微笑みつつも、その人はいつの間にかわずかに硬さを帯びていた表情で続けた。
「私はね。三奈子を妹にしてよかったって思ってる」
「……はい」
「なぜかしらね。なっちゃんにはちゃんとそう言っておかないといけない気がしたのよ。だから、なっちゃんはがっかりするかもしれないけれど本当にそれだけ」
 小さな苦笑い。私はそれを目に留めたあと、ただゆっくり「……そうですか」とだけ返した。がっかりなんてもちろんしなかったけれど、だからと言ってその人が伝えたかったというその言葉にどれだけの重さがあるのかも測ることはできなくて。
 もしかしたら……、いや、きっと。その人自身だって「なぜかしら」なんて言うくらいだからそれを測りかねているのだろう。私の反応は芳しいとは決して言えないものだったのに、その人はもう話をまとめるように次の言葉を口にした。
「難しいものよね。姉妹の姉妹との付き合い方って」
「そうですね」
 そしてやはり、その人はきっと気付くことはなかったろう。さっきよりも少しだけ深くうなずいた私が、さっきよりもずっと確かにその言葉の重さを受け止めていたということには。


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