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 また行ってみよう。
 つい姉についてしまった嘘を取り繕うために足を運んだ図書館からの帰り、電車から降りた私はそんな風に思っていた。
 歩きながら読書するわけには行かないから。新しくカードを作って借りた本を2冊入れたかばんに今までページを繰っていた本をさらに1冊差し入れた。もちろんこの借りた本を返しには行かなきゃいけないわけだから必ずまた足を運ぶことにはなるのだけれど、それはそういう義務としての来る、来ないよりももうちょっと積極的な気持ちで。
 その図書館はリリアン女学園から徒歩で行ける距離にある。
 リリアン女学園では下校時にどこかに立ち寄るときには先生に立ち寄り許可をもらうことになっているから、そこに寄りたいときは先生に聞くことになるけれど、そこは近い上に図書館だからまずダメだと言われることはないだろう。私は思った。きっと先生だってそれがたびたびになればそのうち「いちいち許可はいらない」なんて言葉を言いたくなるのをこらえて許可を出すようになるんじゃないかなんて。
 学校の図書館とは違う、「普通の」街の図書館は、図書館というルールを持った同じ静かな空気をたたえているのに、例えばそれに色とか味とかがあったならきっとずいぶん趣きは違うと私は感じた。それは私にとって基本的には「新鮮」であり、少し強い言い方をすれば「興味深い」、それをもう少し強めると「刺激的」と呼べるようになるような空気だった。
 その感覚は、私が姉とは違い、あまり普段自分から新しい場所に行かないことにも関係があるのかもしれない。本当はそうして動いてみれば何か発見があって、それが楽しいことだってちゃんとある。そう、つまり私はこの日、楽しかったのだ。早めのお昼を食べて一番に出かけたときには真上近くにあった太陽がもうすっかり傾いてしまっているくらい。
 だから、交通費がかからないのもいいななんて、いつも学校から帰ってくるときと同じように改札に定期を差し入れたときに考えてしまったのは少し余計だった。お財布に伺いを立てる必要があるかどうか、それは一中学生の私にとってはかなり切実な問題だけど、純粋に楽しんだ気分にちょっと申し訳ない気がして。
 そんな、私が仕方ない小さな笑みを落としていたときだ。
「あっ」
 ばったりと、私は出会った顔にそう漏らした。向かい合うその反対側からも同じ声がした。
「お姉ちゃん」
「あら、なっちゃんも今帰り?」
「うん」
 人の流れからそっと外れるとそのまま帰り道を歩き出せばいいのに、その偶然に浸っていたのか姉も私もなぜだか立ち止まって、「おかえり」とか「ただいま」とか、私たちはその場でするのはちょっと変かもしれないやり取りを交わしたりした。姉も同じように、楽しくて仕方ないという風ではないけれど、なんとなく満足感を漂わせている。
「取材、うまくいったんだ」
「……まあ、ほどほどにね」
 あれ? 返事が芳しくない。じゃあ、と私は反対に聞いてみる。
「うまくいかなかったの?」
「そ、そんなことないわ。ちゃんといい取材ができたんだから。安心して、なっちゃん」
「……、うん」
 別に私はお姉ちゃんの取材がうまくいかなくてもいいんだけど……。ぷいっと身を翻すと、なんとなくぎこちない足取りで歩きはじめた姉に私はもちろんそんなことは言わなかった。ただ黙ってついていく。だけど、10メートルも歩くと姉の足取りはごく自然になり、その表情もまた自然に柔らかくなった。
 どうやら取材は最初に言った「ほどほど」がせいぜいくらいのようだけど、姉にはそれを補ってくれるようないいことがあったらしい。デートをした人たちが姉の取材に振り回されることもなかったようだし、何よりだと私は思った。
 その帰り道、今日は何をしたとか、なんとなく機嫌のいい私たちはなんとなくいつもよりたくさん話をしたと思う。そのお喋りの中、姉の口からあの人の名前が出ることは一度もなく、私もその人を思うことは一度もなかった。


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