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 どうしてそんなことを言ってよかったというのだろう。お姉さまの実の妹という関係でしかない私が、確かな姉妹という関係を持つ2人の邪魔をしてまで。
 姉と真美さまは姉妹で、だからそんなやり取りだってきっと特別なことじゃなかったのかもしれない。そして、真美さまは姉を持つ高等部の生徒なのだからチョコを贈ることだってきっと……。
「え……、なつ……ちゃん?」
 突然に黄緑色の傘を突き出された真美さまは、ただ驚いた顔で私を見ていた。
 私のその行動にはよかったことなんて1つもなくて、2人の邪魔をしたことも、そうして真美さまを困惑させたことも、結局、私が幼稚な子どもであるというアピールにしかならなかったと思う。だって、その私のわがままの最大の問題はそこには選択肢がないということだったのだから。
 どんなにゆっくりとでも歩いていれば前には進んでいく。だけど、私はそれを止めさせてしまったから、そのままではただ冷ややかな雪にさらされるだけ。再び歩き出すためにはその要求に何らかの答えを返さなければならない。でも、淡い黄緑色の空から外れて自分も雪空の下に身を置いた下級生がそこにいるとき、「NO」という答えがあり得るというのだろうか? その子の実の姉が隣にいて、答えを要求されたのが優しい真美さまで。
 頭の回転のあまり速くない私も後悔のスピードだけは人並みか、人より劣っていても恥じ入らなくていい程度にはあったのだと思う。足止めさせられて真美さまが戸惑っている間に、自分のしていることのあくどさに気付いた私は全身に悔いが満ちていった。なんて私は卑しいんだろう。自分が自分を嫌いだと言うことはよいことじゃないとはわかっているけれど、でも、そう思うこと以外何もできなかった。
「すみませんっ」
 差し出していた傘を一瞬でも早くと急いで取り下げた。一瞬でもそんな嫌いな自分のままでいたくなかったから。だけど、自分のエゴで招いた失敗を、種類は違っても結局は同じそんな自分のエゴでどうしてあがなえるというのだろう? だから私は、また失敗を重ね真美さまを困らせるだけだったのだ。
「え……、入れて、くれないの?」
「え……?」
 ぽかんとひどく呆気に取られたその顔。そして焦点が定まっていないような力ない質問。私は賢くていつもきりりとしている山口真美さまのそんな状態はもちろん初めて目にしたから、その真美さまに輪をかけてぽかんとして、それが何を意味しているのかもすぐにはわからなかった。
「なっちゃん、なっちゃん?」
 姉に横から声をかけられる。私はほんの少し冷静になる。
「なつちゃん。……傘、入れてくれる?」
 真美さまにゆっくりまた尋ねられる。私ははっとする。
「あっ! すみませんっ」
 なんて私はバカなんだろう。ようやく自分がどれだけ自分のことしか考えていないかを理解すると、さっき差し出したときよりも、今、取り下げたときよりもずっと素早くその人に差しかけた。そんな風に扱っていたら傘もすぐに壊れてしまうくらい乱暴なほどあわてて、たった1人、白くきれいで、でも冷たい雪を身体に受けている真美さまに。
「ごめんないっ! 真美さま、あの……ごめんなさい!」
 頭から足の先まで全部、帯びていた熱がサーッと一斉に引いたと思ったら、次の瞬間には体中が熱くなる。自分がどんな状態なのか全然わからない。ただ恥ずかしくて恥ずかしくて、申し訳なくて恥ずかしくて。
 私は何度「ごめんなさい」と繰り返しただろうか。あとから考えればそれだって真美さまには困るだけのことだったというのに。
 それから私は姉が支えるように肩に手を置いて軽く揺すってくれるまで、姉が傘を差しかけてくれていたことにも気付かなかった。そして私は今度は姉に「ごめん、お姉ちゃん」と繰り返す。姉は深呼吸するように深いため息をついた。
 そんな、わがままで自分のことしか考えていなくてバカでパニック体質な私がやっと落ち着いた頃には雪の降り方も少し穏やかになっていた。
「ありがとう。なつちゃん」
 それでも私の傘に入って隣に並んでくれたとき、そう言ってくれた真美さまの瞳は呆れきったように微笑んでいた。


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