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 それから少し。コツコツと、校舎をノックするような仕草をして菜々さんは私に隣に並ぶように促した。それは、無言で何かを考えていた菜々さんがそれに区切りをつけたからかもしれないし、もしかしたら私があんまり凝視しすぎたからかもしれない。
 いずれにしても私が隣に並び、同じように校舎に背中を預けると、菜々さんは言った。
「中等部は、バレンタインのチョコ、禁止だよね?」
「……うん」
 隣同士の私たちは身体が向いている方向が同じだから、相手の表情をうかがうには目だけじゃ足りなくて、顔ごと向けなきゃいけない。私は菜々さんの顔を見て話をしたくて、だけどそうすることはできなかった。淡々とした口調で確認する菜々さんの方は、私に視線を向ける素振りも見せていなかったから。きっと菜々さんはここから先は顔を見ないで話したいのだと私は思った。
「いけないことだって、わかってるんでしょ?」
「うん」
 私の答えに菜々さんは呆れたような、諦めたような空気をまとった言葉を返す。
「……だよね。なっちゃんのことだから、今、私が考えてることなんてもう全部先に考えてるよね」
 そして、「ふぅ……」と、やや深いため息も。
 全部先に考えてるだなんて、菜々さんのそれはひどく築山なつを買い被った言葉だったけど、確かに私はこのあとどうすればいいのかくらいはわかってるつもりだった。
「菜々さん。先生に言う、よね?」
 その手を取って走ったときから、私はもちろんそのこれからを受け入れるつもりでいた。でも、とても卑怯でずるいと自分自身でだってわかっているけれど、どうしても1つだけ私は菜々さんにうなずいてほしかった。「だけどお願い。真美さまのことは言わないで」。それさえ叶えば他には何も望まないから。
 ただ、私はこれから口にしようとするその言葉の厚かましさに一瞬躊躇する。なんて私はわがままなんだろう、と。そして思うのだ。それでもわがままになるというのなら、どうしてためらったりするんだろう、と。
 そんな自己嫌悪を押し殺すために、私はあえてはっきりと菜々さんを向いて言うことにした。だってそれは、私のただ1つと言ってもいい心からの願いだから。校舎にほんの軽く預けていた身体を戻すと、キュッと向きを変える。
 と、90度変わったその視界には、菜々さんも私を向いて立っていた。
「どうして?」
 そう口にしたのは菜々さんの方。
「ねえ、なっちゃん。なっちゃんは私がこのこと、誰かに言うと思うの?」
「だって、菜々さん。私、持ってきちゃいけないチョコ、持ってきてるんだよ?」
「なっちゃん、そうじゃない。私が聞いてるのは、私がそれを誰かに言うとなっちゃんが思っているかだよ」
「え……、だってそれは……」
 私はどう答えていいのか返答に窮した。だって、菜々さんが何を言ってるのかわからない。誰かに知られるということは私の企みをマリア様は許してくれないということで、だけど私は、その使いが菜々さんなのだというのならと、納得もしている。これならマリア様だって恨んだりしなくて済む。そう思っているのだから。
 それなのになぜだろう? わずかに怒ったようでさえある口調、私には菜々さんが普段からあまり変化の多くない表情にも不満の色を浮かべているように見えた。そう、それはまるで、その使命を果たしたくないと主張しているかのように。
 菜々さんは向かい合った視線をスッと斜め下に逸らすと、唇をかむようにとても小さく細いつぶやきを漏らした。
「悔しい……」
 どういうことだろう? 耳が普通の人よりいい私がようやく聞き取ったそれはやっぱりわからない言葉。今、この状況で菜々さんが悔しがることなんて何か1つでもあるというのだろうか? 全然わからない。
「菜々さん、悔しいって……?」
 のぞき込むように尋ねた私に菜々さんはビクッと反応すると、焦るように私に向けた表情は目を見開いて驚いていた。「聞こえたの?」、さっきのつぶやきと同じくらい細く小さい問いに私は「うん、ごめん」とうなずく。そうだ。前にもこういうことあった。菜々さんのそれは、きっと聞き取らない方がいい言葉だったのだろう。
 私は反省すると口をつぐんだ。菜々さんも何も言わなかった。そして、昼休みの終わりの鐘が鳴る。
 キーン、コーン……
 もしかしたら、菜々さんはそれを待っていたのかもしれない。鐘の音に重なるように、だけど私の耳がそれを必ず聞き取ると信じているように、つぶやいたのだ。
「どうして私が、誰かに言わなきゃいけないの? なっちゃんは私のこと、そんなに信じられない?」


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