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「私……。今日、チョコ持ってきてるの」
「……真美さま?」
「うん」
 緊張を振り払うまでに少しだけ時間をかけた私に対して、きっと、そんな風に考える間を置くこともなくそのチョコの行く先を言い当てた菜々さんは、今日この日がバレンタインデーだということと同じくらいに、私がようやく自覚した思いも、もうはっきりと把握していたのだろう。菜々さんが鋭いのか私が鈍いのか、うなずいた私は少し複雑で、だけど説明をしなくても理解してもらえていることは素直にありがたかった。
 もちろん、私は菜々さんになら説明だってできる。いや、それが正しく知ってもらうためだったら説明をしたいと思う。ただ、こんな風に考えることは矛盾しているけれど、その思いを口に出すことは自分を追い詰めてもいくような、そんな不安を感じていたことも確かだった。
 菜々さんは、あんまりあっさりとそれを認めた私を一瞬だけ意外そうな目で見つめると、またすぐ立て直して確認を続けようとした。
「それって……」
 だけど、なぜかそのあとに続いたのは「ごめん。なんでもない」という言葉と小さく首を振って口をつぐむ姿。何だろう? 私は不思議に思って尋ねた。
「なに、菜々さん? ごめんって……?」
「いや、言わない方がいいと思ったんだけど……」
 ふぅ……。菜々さんは失敗したなって言っているような小さなため息をついて漏らす。
「ごめん。途中でやめたらかえって気になっちゃうよね」
「……うん」
「……そうだよね」
 きっとそれはそのとおりだと思う。わからない理由によって話を途中で切られたら、それは普通に聞くよりずっと気になるものだから。
 そのとき私は、もちろんそれが一般的に考えても間違いないことだと思ったけど、でも私がかえって気になった理由は、その他にもあった。そしてそのもう1つの方こそ私にとってはずっと大きな理由だったのだ。だって菜々さんは間違いなく、何か私に気遣って「言わない方がいい」と判断したに違いなかったから。
「となると、言った方がいい? ううん、聞いていい?」
 一度気にさせてしまったら、それを言葉にせずにいるのはお互いにとって消化不良のような感覚を残すだけだから。それを理解していた菜々さんは遠慮がちにそう尋ね、そして私もしっかりとうなずいた。
「うん、お願い」
 遠慮や我慢なんていらなかった。私は、できれば何でも言ってほしかったのだ。菜々さんには。
 それは言葉にすべき思いだったのかもしれない。私はまた思いを言葉にすることを失敗したのかもしれない。菜々さんは私がそれを迷っているうちに音もなく息を吐き、私を真っ直ぐ見つめ、それからその一度は飲み込んだ言葉をゆっくりと口にした。
「本命?」
「うん」
 それは文字数に直したらほんのわずかな、菜々さんと出会ってからこれまででもきっと一番短いだろう言葉同士の受け答えだったと思う。だけど、このときほど私は菜々さんに自分の思いを正しく伝えられたことはなかったと思った。
 菜々さんは視線を外すとそのまま校舎にもたれるように背中をつけた。私に対して横向きになった顔がひどく納得した空気を醸している。
「道理で。それじゃいつもと違うわけだね」
「……うん」
 きっと、菜々さんの中で「今日の私」の理由はほぼ全てつながったのだろう。うなずいた私は、菜々さんと同じように並んで校舎にもたれることはできなかった。菜々さんの横顔はとても優しくて、でもそれは少し無理をして笑っているように見える。私はそれが私のせいだと思ったから、そこから目を逸らせなかった。


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