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 菜々さんを無理矢理引っ張っていった校舎裏で、周りに人がいないことを確認するとようやく止まった私は、「ハァハァ……」と息が切れていることも構わずに訴えた。
「うそ。いつもと変わらないなんて嘘。……ほんとはっ、菜々さん、の言うとおりなの……わたし、今日……」
 勢いのままのそれは区切りも強弱もめちゃくちゃで、そんな、聞く相手にしてみれば聞き取りづらいに決まっている言葉は、結局、私がわがままで自分勝手だということの証明のようだった。だけど、私はこのときただ必死だったのだ。
「なっちゃんなっちゃん。ねえ、とりあえず落ち着いて。ゆっくりでいいから」
「ごめんっ。ごめんね、嘘ついて……。……ごめん」
「なっちゃん」
「今日は違うの。いつもと同じ……、なんかじゃないの。ごめん。今日は。今日は……」
「なっちゃん!」
「は……、はい」
 強く呼ばれた自分の名前に私はやっとはっとして我に返った。必死なあまり自分のことしか考えていなかった私は、言葉に心にある思いを語らせるんじゃなく、ただ必死であると、その心の状態だけをアピールしていた。本当に自分勝手に。
「大丈夫だから。ね?」
 菜々さんは私が一旦止まったことを確認すると、そう言って今度は菜々さんから私の手を取った。強く握られたわけじゃない。だけどそこからは菜々さんの気持ちが伝わってきて、その優しくて心強い手に私は今度こそ素直に言えた。
「……うん。ごめん」
「ふぅ……」
 ほっとした息をついた菜々さんは、「いいよ」と言うように小さく首を振る。そしてそれからゆっくり手を離すと、真剣な、でも優しさに包まれた微笑みで私に目を合わせた。
「なっちゃんが今日何が違うのか、聞いていい?」
「うん」
「ありがと」
「ううん、そんな……。私こそ……ありがとう」
 言葉がうまく遣えたら、こんなにも心に響くんだ。私はどうして「ありがと」なのかわからない菜々さんのその「ありがと」に、強く思った。きっとその言葉だって私が先に言わなきゃいけなかったのに。
 引きずられる形で返した「ありがとう」じゃ、きっと今の私が感じている菜々さんへの「ありがとう」には全然足りない。だけど、重ねて言ったってそれに届くわけじゃないし、それにもう言わなくてもいいんだ。だって、きっと自惚れじゃない。言葉足らずだけど、この気持ち菜々さんはわかってくれてる。
 私が菜々さんを信じられるように、菜々さんにも私を信じてもらいたい。きっとそんな風に思うことはわがままとしか言えないようなことだけど、でも私はこのとき強く強くそう思ったのだ。そして、そうなるためにはもっと、私は私の本当を菜々さんに伝えなきゃいけないんだって。
 私の気持ちはもう「それでもいい」なんて中途半端なものじゃなくなっていた。全てを明かすことでこのあとに何があるかなんて関係ない。「知ってほしい」。私はそうやって菜々さんに向き合う自分になりたかった。嘘をつく才能があるとかないとかじゃなくて。たぶん、誰かを大切にしたい思いのために、他に大切に思う人に嘘をつくことは私にはできない。そして、しちゃいけないから。
 その日の特別な思いを捨てたわけなんかじゃなかった。ただ、私はそれでも菜々さんには伝えようと決めた。「わかってほしい」とその両立を願うなんてひどく傲慢なことだけど、どちらかを捨てるからどちらかは叶えてほしいなんて思う方がもっと嫌らしい。
 私はいつの間にか忘れていた背筋を伸ばすことをそのときまた思い出して、ゆっくり一呼吸すると、もう一度しっかりと真っ直ぐに立った。するとなぜか同じように菜々さんも息をついて、それからピンと背筋を伸ばす。
 私はそんな風に、私の話をちゃんと聞こうとしてくれる菜々さんにまた嬉しく思ったけれど、でも、できれば菜々さんには緊張しないでいてほしかった。だって、相手に緊張されたら自分はもっと緊張してしまうものだから。


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