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 普段から学園生活に不必要な物の持ち込みを厳しく戒められているとはいえ、バレンタインに興味もあれば、自分たちだって胸を躍らせるような体験をしてみたいと思っている生徒が多くいるだろう中等部で、どうしてチョコの受け渡しの禁止をしっかり生徒が守るのか。その理由はいくつかあるかもしれないけれど、もっとも単純な理由としてはバレンタインデーには「絶対」持ち物検査があるからだと思う。
 もちろん、事前にわかっている検査の日にわざわざ禁止されているものを持ってきて怒られようとする生徒なんているはずがないから、違反を見つけるための検査だったら抜き打ちでやらなきゃ効果はないし、実際普段の持ち物検査はいつ行われるかわからない。1週間ないときもあれば、3、4日続けてのときもある。だけど、そんな持ち物検査の中には違反を見つけることが目的じゃない検査というのもときどきあるのだ。
 それは言ってみれば「お約束」のようなもの。先生が「皆さん、持って来てませんね?」と言ったら、生徒たちは渋々の子も嫌々の子も「はーい」と答えるような、そういうもの。もちろん、それは言葉のやり取りだけじゃなくて持ち物をあらためられるわけだから、生徒たちにとってそれは「答えさせられる」なのかもしれないけれど。
 とにかく、どんな日であっても、いけないことはいけないし、ダメなものはダメ。生徒じゃなく先生の側に立ってみれば、そのアピールとしてクリスマス・イブやバレンタインデーは絶好の機会なのだ。
 ただ、そんな検査や先生の目をすり抜けられる方法は少し頭を使えば大抵誰にでも思い付くと思う。
 例えば朝のうちに渡してその場でお腹に収めてもらえば証拠は残らない。あるいは検査をされても大丈夫なように渡すまではどこかに隠しておいてもいいだろう。チョコの大きさを問わないならペンケースとか手元にだって隠す場所はあるし、渡す相手がそこに隠したことを知ったらどう思うかを考えなくていいなら、生理用品の中とかそれこそいくらでも隠す場所はあるのだから。
 だけど、そんな風に考えた子だって実際にそれを実行することはしない。もちろん絶対にしていないとは言えないけれど、きっとほとんど実行する、実行した人はいないに違いない。だって、それよりももう少しだけ考えれば、本当に実行するというのはそんなに簡単じゃないことにも気付くだろうから。
 先生の目をすり抜けるのは簡単でも、同級生の目をすり抜けるのは難しい。規則違反を告げ口するというのは生徒にとっても先生にとっても好ましいことではないだろうけど、だからといって見つけた子が見て見ぬ振りをしてくれるなんて期待するのは甘い考えだ。だってその子はもしかしたら、禁止されているから我慢をした子かもしれないんだから。
 そして、そんないくつかの条件を仮にクリアできたとしても、それでもまだ中等部の生徒にはバレンタインに参加できない理由は残るのだ。それはきっともっとも大きな理由であり、何よりもっとも大事な理由。つまり、バレンタインのチョコには渡す相手がいるのだから、見つかったときには自分だけじゃなくその相手にも迷惑をかけることになるということ。
 尊敬か憧れか、それとももっと違う何かか。バレンタインのチョコを贈りたい生徒がその相手に対して抱いている感情は様々だと思うけど、それがどんな気持ちでも相手のことを考えたらミーハーではできないし、本気だったらなおさらできるわけがない。だから結局、最終的には中等部の生徒は皆、バレンタインを諦めることになる。
「ふぅ……」
 長い銀杏並木をスカートのプリーツを乱さない程度の早足で進みながら改めてその流れを思った私は、下駄箱に靴を収めるそのときにゆっくり1つ息をついた。それは計算されたかのように見事なシステム。まるでその流れ全部が「お約束」のようで。
「でも……」
 落とすように、自分の意志を確認するように私はほんの一言そうつぶやくと軽く唇をかんだ。でも、私はその全てを理解した上であえてその禁止されていることをするんだと。
 私の場合、相手は中等部の生徒じゃない。だから仮にバレたとしても、私が口を割りさえしなければその人に迷惑がかかることはない。全ては私の責任で、全ては私のわがままだ。
(……あ)
 そんな風に、つい意識を強めた私はかばんを持つ手に知らず力を入れていて、ちょっとあわてて力を抜いた。不自然にしていたら怪しまれるから。もちろん、私には見つかってもいいなんて気だって一かけらもないのだ。
 きっと、私のその人は中等部の生徒じゃないから、朝のうちに高等部を訪ねたり、あるいは姉をうまく使いさえすれば、私はかなり安全にチョコをその人に届けることができただろう。だけど、そんなつもりは最初からなかった。堂々と、ただ堂々と先生の目も同級生の目もやり過ごすんだって決めた。チョコもその包みの大きさも小さくしたりなんてしなかった。
 だって私はチョコを受け取ってほしいんじゃない。そこにある思いに気付いてほしいだけ。
 この学園を見守るイエズス様やマリア様がそんな私を許してくれないとしたら、私の企みは見つかって、私の思いはきっと取り上げられてしまうだろう。祈ったからってお目こぼしがあるなんて思わない。だから私はこの日、まるで敵視するようにいつもより短くしか手を合わせなかったのだ。
 許されなかったとき、私は何を思うだろう?
 わからない。わかっていることはただ1つ。私は頑として、その人の名前を口にすることはないというだけ。


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