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 記録なら破るためにあると言ってもいいのかもしれないけれど、規則は破るためにあるものじゃない。
 もちろんそんなことは当たり前で、私は性格的にも規則をわざわざ破りたいタイプではなかったし、むしろ周りと比較したってそれを守るタイプだったと思う。
 そんな私がその日のことを考えて、その上、微かにだけれど確かに、自分の意志がそれを破るという方向に傾いていくのを感じるようになったのには1つのきっかけがあった。それは年が変わる前、2学期の終業式に当たるクリスマス・イブにクラスメートたちがしていたお喋りの中の、ごく他愛もない言葉。
『じゃあ、それでもプレゼントを贈ったら、本気だってアピールできるんじゃない?』
 そのときのお喋りの内容は、バレンタインデーと同じようにクリスマスももちろん校内ではプレゼントを贈ったり交換したりできない中等部の生徒という立場への嘆きで、それも当然深刻なものでは全くなかった。私はその輪に参加しているような、いないような微妙な位置で大抵のことは聞き流していたし、その言葉だってそのときはきっと笑って流していたはずだ。
 だけど、それは本当は流れ去ってはいなかった。私の中で、ある思いに引っ掛かるとそのまま密かに留まって、あとから語りかけてくる言葉だったのだ。
 その言葉を私の中に留まらせた思い、それはもしかしたら、気付かずにいた方がよかったものだったのかもしれない。そしてそれは、少なくとも姉にとっては私には気付かないでほしかったものだったのだろう。
『なっちゃん、真美のことが好きなの?』
 あのとき姉がひどく焦った顔で何度もその言葉を取り消そうとしたのはなぜだったのだろう。あの日から姉がその人の名前を口に出すことに注意を払うようになったのはなぜだろうか?
 ようやく会うことができた日、その人を遠く感じて辛かったのはなぜだったのだろう。その人の気持ちも本当は私とほとんど変わらないものだということを知ったときに、心からほっとしたのはなぜだったのだろうか?
 私は他人の気持ちや自分の気持ちにそんなに敏感ではないし、頭の回転だってそんなに速くはなかった。ただ、残念ながらその逆でもきっとなかったのだ。自分の心を整理していくたびに、それは1つの答えにつながっていく。
 傘を忘れることができていたら、と。あの日、あの帰り道、その人と並んで歩く私の中で生まれた後悔もきっとそう。どうしてそんな願いが生まれたのか、その理由はとても簡単なことなのだろう。
 私には尊敬する人が他にもいる。例えば真純さまのように。
 私にとってそんな真純さまと話をするのはもちろん楽しいことだし、きっと真純さまとだって1つの傘で歩いたら胸は高鳴るに違いない。だけど……。
「……」
 実現しなかったその想像をするときに、心には叶わなかった現実を微かにだけれど安堵する気持ちも浮かんでくる。矛盾した心、何が本当なのかわからない自分。そんな風に私が私をコントロールできなくなるようなことは真純さまではきっとないのだ。そう、それはその人、山口真美さまだからこそ。
「……好き」
 私自身にさえ聞き取れないくらいのほんの小さなつぶやきにも、それを口にしたという事実は残った。そして、その事実は私にさらに自覚を強いて、1つの方向にはまた意志を傾けさせていく。
 バレンタインにチョコを贈ることが禁止されている中等部の生徒だから、それでももしチョコを贈るとしたら義理なんかではありえない。真美さまはとても鋭くて、だからきっと私がそれを差し出せばそのことにも気付くだろう。……いや、気付いてくれるだろう。
 アピールのため、と、そう言ったら本気の純度も薄れて聞こえるかもしれないけれど、それはよこしまであっても確かな事実。
 答えはいらない。ただ、この思いに気付いてほしくて。


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