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「それでね、なっちゃん。ひどいのよ」
 でも結局、話しはじめたら元気になってしまうのだから、築山三奈子という人間はわが姉ながら単純だと思う。
 確かに、それがかわら版で出せないスクープの鬱憤を晴らす場になったのだとしたら、姉の情熱の度合いから言ってそれも当然なのかもしれないけれど、あっさり落ち込みから回復するその姿に私がちょっと呆れたのも1つの事実だった。
 そして、私が「お風呂入ってくる」と言い出さなかったこともまた事実の1つで、「思いのほか」なんて言うと姉はむっとするかもしれないけれど、その愚痴混じりのニュースは思いのほか、私にとっても興味を惹かれるものだった。
 きれいなストレートの黒髪に涼やかで整った顔立ちの美人。学園祭ではアリアの独唱をしていた歌姫だけど、図書館では親切で人当たりのいい高等部のお姉さま。蟹名静さまは、そんなまさしく欠点の見当たらない人だった。そう、それは本を借りに行くのも返しに行くのも静さまが当番でカウンターにいる日を狙う。そんなファンが中等部にもいるくらいに。
 その静さまが1月末の山百合会役員選挙に立候補するらしい。
 正直なところ、私にとってそれはどのくらいのニュースなのかよくわからなかったけれど、これまでのリリアンかわら版での山百合会の扱いや、それに対するクラスメートの反応、そして盛り上がる姉を考えるとそれがかなり大きなニュースであることはなんとなくわかった。しかもそれはまだ「らしい」という段階、つまり、スクープなのだ。
 それは間違いなく、本を探すためでも借りるためでもないのに以前から静さまに目を付けて図書館に足を運んでいた姉の努力の賜物だった。ただ、それが姉にとっては報われなかったというだけで。
 山百合会役員とは高等部の生徒会長のことで、それを選ぶ選挙は選挙である。つまり、リリアンかわら版という学校新聞で大々的に1人の候補をスクープするのは公平じゃないからしてはいけない。
 話を聞いて私は、姉にもかわら版の記事に公平性という観点があったことに少し安心したけれど、それも実際は選挙管理委員会の人やお姉さまが前々から言い含めていた結果らしい。そして当たり前のようにその人も。
「真美からも真美よ。今日なんて、わかってるって言ってるのに何度も何度も『お姉さま、ダメですからね』って言ったのよ。妹のくせにバカにして」
「お姉ちゃん……」
 思い出し笑いじゃなくて、思い出し怒りをする姉に私は「それはバカにしてるんじゃないよ」と言ってあげようか迷って、結局言わなかった。だってそのあとに、「それは生活の知恵なだけ」なんて続けたら逆効果に決まっているから。
 いずれにしても、それから私は中等部の自分には全く関係のない高等部の選挙のことを少し気にかけるようになって、静さまを心の中で密かに応援したりした。
 その理由は、『つぼみ』はどんな人かよくわからないけど、静さまとは何度も顔を合わせたことがあったということもあるだろうし、そのスクープが周知の事実に変わったあと、姉やクラスメートがしていた、やっぱり『つぼみ』の方が断然有利だという分析が影響したせいもあったのだろう。
 そしてもしかしたら、いや、きっと私はそのときもスールという関係にわずかな引っかかりを感じていて、薔薇さまの妹だから『つぼみ』も薔薇さまになるのが当たり前という公式のような考え方にうまく納得できなかったのだと思う。
 ロサ・カニーナ。ふと図書館で耳にしたその言葉は最初、何を意味しているのかわからなかった。きれいな長い髪の印象もなかなか消えなくて、短く切りそろえた髪でそう呼ばれる人は少しの間、蟹名静さまじゃない別の人のようにさえ思えたりもした。
 そんな私の中からも長い髪の残像が消え、『ロサ・カニーナ』という呼び方にもわずかな違和感を残しつつも慣れた頃、その選挙には結果が出た。3色の『つぼみ』は花を咲かせ、5枚のピンクの花びらを持つ可憐なその花が咲き誇ることはなく。
 ただ、選挙の終わったそのあとに、いつものように図書館で見かけた静さまは落ち込んだ風には見えなくて、かえって選挙前よりも静さまはずっと清々しい表情に見えた。多くの花をつけ咲き誇ることのなかったロサ・カニーナが、一輪、凛と誇らしげに咲いているように。


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