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 リリアン女学園というカトリックの学校で日々マリア様に手を合わせている子が、1年に1度くらいしか足を運ばないそこで気軽にお願いなんてしていいのだろうか?
 初詣に訪れた近くの神社で私は、1年前の初詣ではそんなふとした疑問に悩まされたことを思い出した。
 初等部の頃に自分がどんなお願いをしていたのかいちいち覚えてなんていないけれど、中等部に上がった去年はふとそれが気になって、気を取られ、結局私は全然中学生らしくない、「健康で過ごせますように」なんてお願いをして帰ったのだった。
 それは神様と仏様、イエズス様とマリア様のどちらにも気を遣おうと私なりに出した結論だったのだろうけど、あとから考えるとずいぶん馬鹿馬鹿しいことで悩んでいたのだと思う。そもそもお願いをしたって必ず叶うわけじゃない。それに私みたいな子どもに顔色をうかがわれる方が神様やマリア様たちには失礼なことだろうから。
 お願いをするのは神様仏様。お祈りをするのはイエズス様とマリア様。願いと祈り、その気持ちにどれだけ差があるのかわからないけれど、それから1年後の私はそんな風に割り切ってお願いをすることにした。もしかしたらそれは、この1年間で私がちょっと図々しくなったということかもしれないけれど、でも少しくらいわがままでもいいはずだと思った。せめて「健康で過ごせますように」よりも、もうちょっとくらいは。
 お賽銭は10円玉2枚と5円玉1枚。その意味は「重々ご縁」がありますように。
 姉が物知り顔で語ったそれに私も倣った。願いが叶うかどうかがその金額にかかっているなら話は別だろうけど、ごく普通の中学生である私には語呂合わせもそのくらいチープでお財布に優しいものがいい。ただ、その語呂合わせに1つ問題があるとしたら、私の場合「ご縁」をそんなにほしがる必要があるのかどうかということはあったけれど。
 ぱんっ ぱんっ!
 拍手を打って、手を合わせ、目を閉じる。そのとき私はやっぱり願いと祈りにはほとんど差なんてないと思った。手を打って鳴らすこと以外はこうして願う姿はいつも祈っているときと一緒だし、きっと向き合う心だって変わらない。ゆっくり5秒くらい。私は神様に語りかけて目を開けた。
 次の人に場所を譲って社殿(と言うほど大げさなものではないけれど)に背を向ける。すると、そんな私に先に目を開けて待っていたらしい隣の姉は尋ねてきた。
「なっちゃん、どんなお願い事をしたの? ちょっと長かったけど、何か大きなお願い?」
「お姉ちゃんは? ……あっ。別にいいよ、言わなくて」
「別にいいって何よ。私はお姉さまが志望校に合格するようにってちゃんとお願いしてたのよ」
 姉の質問に答えずに聞き返しておきながら、すぐにそれを取り消した私に、姉はちょっと憤慨したように自分の願い事を明らかにした。どうやら言い方がまずかったみたいだ。私は思った。別に興味がないとか、どうでもいいって意味じゃなかったんだけど、と。
「なっちゃん、私がかわら版のこと……。例えば、スクープがほしいとかお願いしたと思ったんでしょ? いくら私だってかわら版のことしか考えてないわけじゃないのよ?」
「……」
 そんなこと思ってないのに……。
 被害妄想にとらわれて、ちょっと私に当たるような口調の姉に私は心の中でため息をついた。そもそもお姉ちゃんはスクープを神頼みなんてしないはずだ。だって、マリア様とだって張り合うくらいなんだから。
 私は仕方ないので真意を教えてあげることにした。
「……お姉ちゃん、お願いって口にすると叶わないって言わない?」
「……あっ」
「だから別にいいよって言ったのに」
「……」
 自分の勘違いを理解して恥ずかしくなったのか、それともそれに落ち込んだのか姉は口をつぐむと、ぷいっとそっぽを向いた。その姉に聞こえないように私は、今度は心の中じゃなくため息をつく。新年早々だというのに、私たち姉妹はいつもと全然変わらなかった。
 それから数歩。姉はまた尋ねてくる。
「ね、ねえ。なっちゃんは何をお願いしたの?」
 私はもちろん答えるわけがなかった。実際にはきっと迷信と区別する必要もないようなそれだけど、かといって道連れになるつもりはない。私はただ少し、そのあからさまな姉の様子が面白くて、そのとき苦笑とも微笑ともつかない笑みをそっとこぼしていた。


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