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傘を差しながらだから、雨の日は少しお祈りの時間が短くなる。
マリア様の前、私はもちろんその人の隣にいた。手を合わせるときに少し離さなければならなかった傘が揺れ、その人の傘にちょこんとぶつかるくらい近い場所に。ただ、そのとき私はそれほど近い場所にいるのにいくら手を伸ばしても届かないような、そんな錯覚を覚えていた。
わかっている。本当は手を伸ばせばちゃんと届くこともわかっていた。でも、意味もなくその人に触れる理由を私は持ち合わせていなかったし、たとえ届いたとしても、その人にその手の意味を問われれば私は何も答えられないから。だから私は、手を離した傘が勝手にその人の方に揺れたこと以上の何もできはしなかったのだ。
お祈りはただ形だけで、何もマリア様に語りかけはしなかった。隣にいる人はそんな私より少しだけ長く手を合わせていたけれど、そこにどれほどの思いが入っているのかは私には全くわからない。そう、それは私が山口真美さまを私よりずっと大人で、そしてひどく遠い存在だと感じていた、そのときだった。
「確かに、黄薔薇姉妹が復縁してなかったら後味悪かったはずよね」
また歩き出した1歩目に、その言葉は重なった。
そして、とても安堵したような口調で真美さまは続けた。「ほんと、元の鞘に戻ってくれてよかったわ」と。
「……えっ?」
それはひどく唐突で、何よりひどく重要な情報だった。だから私はそれが耳に入ると思わず聞き返す声を上げ、その事実を語った人を顔をじっと見つめていた。
「なつちゃん? どうかした?」
真美さまは立ち止まると振り返り、そんな私を不可思議そうに見つめ返した。そのとき私は1歩目のあと2歩目はかろうじて踏んだものの3歩目が続かず、知らぬ間に先に立ち止まっていたのだ。
「……あの、真美さま今、何て?」
「『なつちゃん? どうかした?』」
「そうじゃなくて、その前に……」
「えーと……、『後味悪かったはずよね』?」
わざととぼけているんじゃないかって思うくらい、真美さまは私の要求した部分とは違う部分を再生する。本当に録音したものを再生したように丁寧に同じ口調まで再現して、それなのに違う部分を。
「そうじゃなくて……っ」
もう1度その再生箇所が間違っていることを主張した私は、自分でも自分の口から出たその言葉に表れていた苛立たしさに少し焦った。そして……、いや、だからと言うべきなのかもしれないけど、そんな私の反応に驚いたのは私だけじゃなかったのだろう。
「え、違うの? じゃあ、えーと……」
わからない振りでとぼけていると思っていた真美さまが、それが意地悪やからかいじゃなかったのだとすぐにわかるくらい、珍しくあわてた様子を表情に出して自分の言葉を思い出そうとしていた。そして、ほんの2、3秒の間のあと、真美さまは「あ……」と声を漏らす。それから、さっきとは違う部分を再生したのだ。納得がいったと、そうはっきりわかるような口調で。
「『黄薔薇姉妹が復縁してなかったら』? それと、『元の鞘に戻ってくれてよかったわ』も、かしら?」
改めて尋ねられたそれは、真美さまもそれに確信を持っていたとおり、今度こそ私の要求を満たしてくれるものだった。一応の疑問形に込められた的確さと自信。それがとても真美さまらしい。
「……どっちもです」
うなずいた私に真美さまはなぜだか照れたように小さく笑う。
「そっか。そうよね。なつちゃんは知らなかったわよね。ごめんね、ちょっとうっかりしてたわ」
そんな大事なことにうっかりしないでほしい。それにそれは私にとっては「ちょっと」なんて可愛いうっかりでもないことだった。
破局した黄薔薇姉妹が実は復縁していたなんて、どうして先にそれを教えてくれなかったんだ。うっかりと言うけれど、本当は私をからかっていたんじゃないか。真美さまの笑みくらい小さくだけど、私は自分の心の中でその不満をぶつぶつつぶやいていた。
だってそこには私の知らなかった、真美さまは知っていた事実があった。じゃあ、そこからつながる真美さまの「よかった」の意味だって、さっき私が感じたものとは本当は違うのかもしれない。
だから私はもう一度、確かめなきゃいけなくなってしまったのだ。その言葉の意味を。真美さまの本当の気持ちを。