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 噂が広まれば、結局はその出来事は知れ渡ることになる。出所も真偽もわからない噂があちこちでざわついていたらその出来事の当事者はきっと困るはずだし、そのときにいくつも尾ひれがついていたらなおのことだ。だから、あえてかわら版でそれを取り上げる。そうすれば噂もその尾ひれも1つにまとめられるから。
「……」
 真美さまが語ったそれは確かに筋の通ったもののようだった。ただ私は、それで自分の気持ちが落ち着いたなんて全然思えなかっただけ。
 かわら版で取り上げたらそれこそ噂は遠慮なく広まるんじゃないか。かわら版が取り上げなければそれを知らずにいた人だっているはずなのに……。
 むしろ、それは私を反発させるものですらあったかもしれない。だって、私は思ってしまったのだ。それは結局、かわら版を作っている新聞部の側の理屈じゃないかって。ロザリオを返された黄薔薇のつぼみや、返したその妹がそんなことしてほしいなんて言ったというのだろうか。そんなわけない。
「でもあの号外に関しては、私もさすがにちょっとまずかったと思うのよ」
 真美さまは私へのフォローという風にではなく、ただ淡々とお姉さまのその作品(?)を評価する。取材不足で事実に基づいていなかったとか、美談になりすぎていたとか。けれど私は、そこでまたその人との間に温度の違う空気があることを感じたのだ。
「そのせいで、人真似をしただけの後追い破局の姉妹が結構な数出ちゃったし」
 だって、そう小さく苦笑いはしても真美さまは、その記事のことを結局は悪く思っていないのだ。その評価にも感想にも私が考えるような後悔の色はなかった。考え方が違う。それはたったそれだけのことなのに、私はそのとき真美さまとの間にある空気がひどく厚い壁のように感じられた。
「……」
 きっとそのとき、後悔は私の方にこそあったのだろう。こんな風に真美さまが遠い人だと知ることになるなんて思わなかった。怖がったままで踏み込んでいかなければよかった。目を逸らすようにうつむいて飲んだりんごジュースは変わらず美味しくて、だから余計、私は前に口にしたときには真っ直ぐ真美さまを見ていた自分とのその心模様の落差を自覚せざるを得なかった。
「なつちゃんは、記事にしない方がよかった……ううん、しちゃいけなかったって思うのね」
 うつむき気味で目を合わせることができない私は真美さまの胸の辺りに視点を置きながらその言葉を聞いていた。ふわりと柔らかい綿のような口調はただただ優しくて、それは泣きじゃくってわがままを言う幼稚園児をなだめる保母さんのよう。
 子どもと大人。そのとき私は泣いてこそいなかったけれど、自分のわがままを聞いてもらえなくてすねてしまった子どもときっと大差なかったし、瞳に映る私のものとは違う制服のその部分も真美さまは私と違って大人であることを強調しているように思えた。私自身だってそんな理不尽なわがままで、大人を困らせる子を好きなわけないのに……。
「はい。……そうです」
 顔を上げずに小さく私はうなずいた。返事をしなければまた困らせるだけだから。嘘つきにまでなりたくなかったから。そして、仮に嘘を言ってもそれが通じないことくらいわかっていたから。
「なつちゃんは、優しいのね」
 そんな私に次にかけられた言葉は完全に事実とは違うもので、だから私はそれが、泣き止んでもまだむくれている子どものご機嫌を取るためのものなんだと改めて思った。だって、その言葉が本当にふさわしいのは呆れるくらい温かい声でそう言える人の方に違いなかったのだから。
『いいえ。そんなことないです』。
 だけど私は、そう返すことも首を振って否定することもしなかった。私は子どもだったから、その言葉が本当は違うってわかっていても、それに甘えてごまかしていたかったのだ。


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