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 結局、私はそのときも自分でその状況を変えることはできなかった。
 理解していることとそれを実行に移すこと、私にとってはその2つの間にはやっぱり大きな溝があって、私はそれを飛び越えることはできなかったのだ。飛び越えるためにはまず跳び出さなきゃいけない。でも私は、そもそもその跳び出すという段階で足踏みをしてしまっていたとさえ思う。
 もし仮に自分の弁護をしていいのなら、菜々さんのおかげで少しだけがんばろうと思った私は待ち伏せをしてはいたのだ。
 でも、待ち伏せた場所は図書館だった。そしてそれが正しい待ち伏せの場所でないことくらい私ももちろんわかっていたから、本当は会おうと思っていなかったんじゃないかって指摘されたら、それに反論なんてできはしなかった。
 一度そこで出会ったからといって、その人とまたそこで出会える保証なんてない。その出会える確率を表そうとしたら「偶然」という言葉にだって遠慮されると思う。そう、それはそれこそマリア様が気まぐれを起こしてくれないといけないくらいの低い確率だから、待ち伏せだって自分に言い聞かせて本を探すのは振りだけにしたなんて、弁護どころか笑い話にもならないだろう。
 そんな確率的に考えても当然の結果を得た私はその日家路につくと、お風呂に入っているときも、日記をつけているときも、ベッドにもぐったあとも、とにかくずっとひどく沈んだ気分から回復することはなかった。築山なつの意気地のなさは筋金入りで、それは簡単に言うと、私がどうしようもなくダメな子だということだから。
 翌日、私は部屋のカーテンを開け外の天気を見るまでは寝起きもよくて気分もよかったけれど、どんよりと曇った空を見上げた瞬間に、またすぐ気が滅入った。少なくともそのときの私にとっては、曇りは雨よりも嫌な天気。だって、晴れにも雨にも踏み出せない、そんな意気地なしに思えたから。
 1日のはじめからそんな調子の私は電車に乗るとその電車にさえ感謝した。とぼとぼと歩いているとそれが自分でわかるから余計気鬱になる。その点電車は勝手に進んでくれるし、本の世界にだって入っていられる。なんてありがたいんだろう。
 でも、その電車から降りて、いつものように改札に定期券を通そうとするとこの日に限って前の人が何か失敗したらしく、すぐ後ろの私もつっかえる羽目になった。気分はあっという間に逆戻りする。そして、こんな日は会っても迷惑になるだけだからと思っていたのに、バスに乗ると真純さまにもちゃんと会ってしまったのだ。
「なっちゃん、今日は何だか元気ないね。具合悪いの?」
 案の定、挨拶を交わした少しあとに真純さまにそんな風に心配されて私は思った。イエズス様やマリア様はどうしても私に意地悪をしたいんだって。
 確かに意気地なしには罰が必要だということなら、それは私も仕方ないとは思うけど、でももう少し優しくしてくれてもいいと思う。だって、その真純さまの質問には「はい」なんて答えられないし、「いいえ」と答えたらかえって心配をさせることになってしまうだけなんだから。
「あの、えーと……、身体は元気です」
 結局そんな風に答えるしかなかった私に、真純さまは「そう。……そういうときって、あるわよね」と小さく微笑んで、それからいつもどおり本の話に付き合ってくれた。いつもどおり。だからもちろん、私は電車なんかよりずっと真純さまには感謝していた。
 バスを降りて銀杏並木。真純さまのおかげで私の足取りはわずかに、でも確かに軽くなっていた。だけど、高等部と中等部の生徒が分かれるその場所に差し掛かると、私はまたマリア様の気まぐれに翻弄されることになる。
(あっ……)
 私は自分の視界に入ったその人の姿にうっかり歩くのを一瞬忘れて立ち止まってしまった。そのあとすぐにまた歩き出したけど、隣の真純さまがそんな私の不自然な行動にもちろん気付かないわけはなくて、高等部の敷地に伸びていた私の視線を確実に追うと尋ねてきたのだ。
「あの子、三奈子さんの妹よね?」
 その質問に、私は努めて平静を装って「ええ、そうです」と返した。だけど、結局それもまた不自然さでいっぱいだったことは自分が一番よくわかっていた。


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