− 27 −

 この世界の全てのものをもしもどうしても「好き」と「嫌い」のどちらかに分けなければならないとしたら……。
 そんな仮定をしなくたって、その人がそのどちらかなんてわかりきってる。そう、単純に好き嫌いを言えばいいのだとしたら、山口真美さまを「嫌い」な理由なんてどこにもなくて、それはつまり、私は「好き」の方を選ぶに決まっているということだ。
 じゃあどうして、そんな当たり前のようなことで、姉はあんなに動転してしまったのだろう? 変な意味の好きって、どういうことなんだろう?
 私はどうしようもなく勘が鈍いわけじゃなかったから、それがどういうことなのか、全然わからないなんて言ったら嘘になることくらい理解していた。ただ、じゃあ、わかるかと尋ねられたら、私はやっぱりわからないと答えるしかない。だって、「わかる」と「わからない」を比べたら、まだ「わからない」の方がずっと大きい気がしたから。
「それで、なっちゃんはいろいろ考えて、結局真美さまには会えてないんだね」
「……うん」
「黄薔薇革命のことも、どうでもよくなってしまった?」
「『どうでもいい』なんて、そんなことないけど……」
 翌日、私はどんな変な顔をしていたのか、朝はクラスメートに体調を心配され、昼休みにはたまたまお手洗いで一緒になった菜々さんに中庭のベンチに引っ張られた。そして、私はあっさり前日の出来事について口を割らされると、そのあまりはっきりとしない私の答えを分析した菜々さんに、いつもどおりとても的確に指摘されたのだ。
「なっちゃんらしいけど、でも、考えすぎ、だよね」
 苦笑いの成分を含んだ微笑み。その指摘をした菜々さんの顔は言葉にするよりずっと「自分でもわかってるんでしょ?」って私に語りかけていた。
 いや、あるいはそれは私が自分でそれをわかっているからこそ、菜々さんの表情にその自分の心を投影して、そう見えたのかもしれない。考えるより行動の姉とは逆で、考えないと行動できない私。それはずっとずっと前、幼い頃から知っていること。
 いずれにしても私には自覚があって、私にはその「考えすぎ」という事実を否定できる材料なんて何一つなかった。
「……うん。きっと、そう」
 それでもはっきりうなずかない私は、私自身ちょっと嫌な子だと思う。それに例えばこんな風に自分を嫌だと思うことだって、そう感じているのか、そう考えているのか、その境目はわからない。理由がわかっているということがその差になるとしたら、やっぱり私は考えすぎということになるのだし。
 少し前に国語で習った「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という言葉は、私のそういうところを表すのにもってこいだと思う。たぶん誰も、考えることを悪いことだなんて言う人はいない。ただ、それは程度の問題だということ。
 それから少し、菜々さんと私はただぼんやりと隣同士に座っていた。私はどちらかといえば遠くの空を見るともなく見ている時間が長くて、菜々さんはどちらかといえば少し先の地面を見つめている時間が長かった。それが私たちの性格の差の表われだったのかはわからないけれど、少なくとも姉妹の末っ子という共通点があっても私たちがずいぶん違う性格をしていることは明らかだった。菜々さんはきっと、近くの地面でも楽しめるタイプなのだ。
 そして、昼休み終わりのチャイムが鳴った。そんな違う性格の私たちも同じようにすぐに反応して、ベンチから立ち上がると歩きはじめる。
「でも、なっちゃん。自分から会いに行かないと、偶然会っちゃったときは大変じゃない?」
 あの地面を見つめていたとき菜々さんは私のことを考えてくれていたのだろうか。あまり見たことのない菜々さんの少し心配そうな顔が私にはとても申し訳なかった。
「うん。そうだね」
 今度ははっきりとうなずいた私ももちろんわかってはいるのだ。自分から動かないと流されていくばかりだってことは。


前のページへ / ページ一覧へ / 次のページへ