− 26 −
私が人間違えをして、そのあと哀しさを覚えたその電話も、それは私宛のものではなかった。だから私にとってだけじゃなく相手にとっても、本来ただ取り次ぎだけの相手との間にそんな展開が待っているなんて、それは全く予想外のことだったに違いない。
私は浅香さまにもう間違わないと約束をした。それは口には出さなかったけれど、私の心の中では、「もう『真純さまとは』間違わない」ということでもあった。私は勘が鋭いなんてことはないし、むしろ鈍い方だとさえ思う。でも、そのとき私は感じていたのだ。「今度からは間違えないでね」と、そう言った浅香さまが伝えたかったことも、告げられなかった『真純さんとは』という言葉だったんだと。
浅香さまが息をのんだ理由は、その名前が考えてもいないところから突然飛び出してきたから。
もしもその間違いが別の名前であったなら、浅香さまにも私にも、それは単なる「どじ」とか「おっちょこちょい」レベルのミスで済んだのだと思う。だから、そうでなかったということは、つまり、そういうことなんだ。
「約束」と「誓い」。それはどちらが重いのだろう?
そんな命題は高々普通の一中学生には難しすぎてよくわからない。でも、いずれにしてもそのとき私が心に決めたそれは、決して破っちゃいけないそういう決め事で、私はそれをちゃんと自分が守っていくだろうと思っていた。
私は以前にも自分にそういう決め事をしたことがあって、それから確かにそれを守っている。それは奇しくも間違えて出してしまった名前の、その人に対して決めたこと。私はそのときそのことを思い出したわけではなかったけれど、でも、思い出していなかったとしてもそれは同じ私の中にあった出来事だったから、きっとまったく無関係なことではなかったのだろう。
コンコンッ
「お姉ちゃん、入るね」
保留のボタンを押した受話器を持って私が部屋に戻ってくると、浅香さまにとっての本来の相手である姉は、やや挙動不審な落ち着かない様子をしていた。そして私が「電話。林浅香さまから」と告げるのとほとんど同時に口を開く。
「なっちゃん、さっきのは違うの……って、……え、私?」
「うん」
受話器を渡すと姉はそれを受け取ったけれど、そこにはわからないという風がありありと見える。普通電話を取り次ぐのに時間なんてほとんどかからないから、私は姉のそれは、部屋を往復するだけにしては私がずいぶん時間をかけたことへの疑問だと理解した。
ただ、その理由を説明することなんてできないし、説明する必要もきっとない。電話は取り次いだし、邪魔になってもいけないから、私は何も言わずドアのノブに手を掛け部屋を出ようとした。
けれど。
「あっ、ちょっと、なっちゃん」
姉は浅香さまが待っているというのに私を引き止めた。そして引き止められた私が「なに?」と向き直ると、やや早口で、まるで何かお願いをするような口調で言ったのだ。
「あのね、さっきのは変な意味で言ったんじゃないの。変な意味じゃないのよ」
「……」
「だから気にしないで。気にしないでね、なっちゃん」
私は答えた。
「……お姉ちゃん、浅香さま待ってるよ」
そして、姉がまだ何か言おうとしているのにも構うことなく今度こそ部屋を出て、その部屋のドアをきっちりと閉めると私は心の中でつぶやいた。だったら、思い出させなきゃいいのに……、と。
寝た子を起こす。念を入れたかったのか同じことを繰り返した姉のそれは明らかに逆効果だった。
私は姉が言った「さっきの」を完全に思い出し、それが「変な意味」の言葉だったということも正しく理解した。そして姉の願いどおりに、それを「気にしない」わけにいかなくなってしまったのだ。