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 そういえば、幼い頃うさぎとくまのぬいぐるみを姉の気分で交換させられたときもこんな感じだったかもしれない。
 私にとって落ち着かない気持ちというのはきっと、それが自分の心の中でうまく消化できていないということを表しているのだ。
 くまからうさぎ、その交換という事実自体、その当時の私の心の容量からすればとても重大な出来事だったし、その後、私のさっちゃんが大人しくおしとやかな性格になったのだって、もちろん私の性格という要素は関係あるだろうけど、姉のくま吉が荒唐無稽な生き方をしていることと無関係ではなかっただろう。
 私はくま吉が不幸だなんて思ったことはない。ボロボロになるまで遊んでもらったぬいぐるみはとても幸せだったはずだし、ボロボロになっても部屋に居場所があることほど幸せなことなんてきっとないはずだ。ただ、私は私のさっちゃんを同じ方法で幸せにしようとはしなかっただけ。
 私にはさっちゃんを怪獣やヒーローにするだけの想像力はなかった。私にとってのさっちゃんはお母さんのようで、お姉ちゃんのようで、友達のようで、妹のよう。そして何より私自身だった。
 心を弾ませるような存在じゃない。でも、私が悲しくて泣きたくなったときや眠れなくて心細いときにさっちゃんを抱きしめると不思議と少し心が軽くなった。姉とくま吉とは違う、私とさっちゃん。
 私は別に姉に反発したいというわけではない。……のだと思う。ただ、私は実はかなり頑固な性格なのかもしれなくて、だから姉のすることを見て、同じようにするにも、違うようにするにも、きっと自分なりの納得する何かを見つけないと気が済まなかったのかもしれない。
「『菜々』って呼び捨てでいいのに」
 たぶん、菜々さんが呆れたような、諦めたような軽い苦笑いでそんな風に口にする羽目になったのも、私が自分なりに納得するものにこだわったせいに違いない。
 例えば私だって、それが初等部の頃だったらもっとずっと早くそうできたのだろうけど、もう中学生になり、打ち解けるということに少し時間がかかるようになっていた。そして、そうしても大丈夫だということを見極めてからでない限りそんな風にはできなくなっていたのだ。それが相手、菜々さん自身の許可があることでも。たとえ菜々さんが私を「なっちゃん」と呼んでくれていたとしても。
「ねえ、『菜々ちゃん』とかはどう?」
 菜々さんは少し条件を下げるとまた聞いてきたけれど、たぶん答えには期待していなかったと思う。私がやっぱり「さん」にこだわった言い方で返すと「仕方ないなぁ」って笑ってくれた。ただ、その代わりだったのかはよくわからないけれど、そのとき私が挙げた理由を鋭い菜々さんは見逃すことはなかったのだ。
 「なつちゃん」と、私をそう呼ぶ人。お姉さまにさえ影響されずに自分が正しいと思ったその呼び方をしたその人のこと。
「なっちゃんは、その真美さまの呼び方が好きなんだね。だからその理由も好き。……でしょ?」
「……え」
 私はそれを否定することなんてもちろんできなくて、小さくそれにうなずいた。私にとって真美さまは目標としている人で、そのきっかけは間違いなくその呼び方だったのだから。
「じゃあやっぱり、なっちゃんはその真美さまに話を聞かないと、そのもやもやも晴れないんじゃない?」
「うん、そうかもしれない」
 それは私にもわかっていたこと。でも会えるかどうかは偶然でしかなくて、会えない以上聞くことができずにいる。私はそのことを説明した。すると、そんな私を菜々さんはわずかに不思議そうな目で見たあと、何だかとても私の心境とは落差のある口調で言ったのだ。
「会いに行って聞いてみればいいんじゃない? あ、それとも待ち伏せしてみる? どっちが面白いかなぁ」
 菜々さんはよくわからない。どうしてその判断基準として「面白い」という要素が必要なんだろう? 
 私はもちろん菜々さんのそんな少しおかしな基準は採用しなかった。ただ、そんな風に少し笑みが浮かぶような言葉は、「真美さまに会う」ということへの私の気持ちを確かに軽くしてくれていた。


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