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「ごきげんよう。なっちゃん」
「あ、ごきげんよう。……あれ? もうお帰りなんですか?」
「ええ、帰りなの。本当はもう少し三奈子を見張っていたいんだけど、受験生だからね」
「……あ」
「そう。3年生だから、私はもう引退したのよ」
 姉のお姉さまと、それまで会うことのなかった時間に一緒になってそんな話を聞いたのと、それはたぶん同じような頃だったと思う。
 『リリアンかわら版』。私の耳にとっては案外馴染みになっていたそれが、初めて目の方にも現れたのは。
 ただ、その出会いは私にとってそれほど衝撃的な出来事ではなかったのだと思う。比較的、と言うと語弊がある程度に人より記憶力の良い私ではあるけれど、そのときのことについては漠然と、クラスメートの誰かに見せられたという程度にしか覚えていなかった。
 姉のお姉さまが引退してその発行に携わらなくなったということと、私がそれに出会ったということにはどれくらい関係があるのかわからない。どのくらい偶然で、どのくらい必然だったのか。
 とはいえ、姉のお姉さまが引退したということは裏返せば、私の姉であるところの築山三奈子がその責任者になったということだから、きっとそれが関係して、クラスメートはそれを持ってきたのだろう。私は興味を持っていないことだって、興味を持つ人はいる。だから、2つの出来事が重なった、きっとその全部が全部偶然というわけでもないのだ。
 いずれにしても、それから私にとっては少し困ることがはじまった。
 つまり、クラスメートが私のことを『リリアンかわら版』について詳しいと勘違いするようになって、その話を当たり前のように振ってくるようになったのだ。
 確かに私はリリアンかわら版編集長、築山三奈子の妹ではある。だけど、そもそも私、築山なつは中等部の生徒だから高等部の学校新聞のことなんて知っているわけもなくて、それに元々『リリアンかわら版』にはうとかったのだ。だから、「ついに白薔薇のつぼみが決まったって」と言われても「1年生でつぼみなんてすごい方ですよね」とは返せるわけもなかった。
 あとから知った、『リリアンかわら版』には中等部の生徒にも隠れ読者が案外多いという情報も、私にはあまり朗報ではなかった。まして、高等部に実の姉はいないけど隠れ読者をやっている子に、いかにかわら版を入手するのが大変か苦労を語られても、私はあまり確かな理由もなく申し訳ないなと思う以外にどうしようもなかった。
 そんな、いつもとはちょっと違う方向の愚痴を漏らした私に愚痴仲間のその人は言った。リリアンかわら版について聞かれても全然困らない方の築山三奈子の妹、真美さまは少しだけ諭すような言い方で。
「でも、少し背伸びして高等部のお姉さま方のことを知りたいって気持ちは、なつちゃんにもわかってもらえると嬉しいかな」
「いえ、わからないってわけじゃ、ないんですけど……」
 苦笑いで返した私に真美さまは「うん、なつちゃんはそうよね」とよくわからない納得をして、その日の帰り、ジュースをおごってくれた。
「そんなとばっちりがあるなんて知らなかったから、これは迷惑料」
「あ、いえ……、そんなつもりじゃ……」
 真美さまは私が遠慮するのもお構いなしに自動販売機にお金を入れるとにっこり笑う。
「大丈夫。代金はお姉さまにつけておくから」
「えっ!?」
 そのときまで会話の外にいた姉は突然のことに驚いて間の抜けた声を上げたけど、やっぱり真美さまはお構いなしだった。
 ピッ ガタンッ!
「はい。どうぞ」
「ちょっと、真美。あなたね!」
 手渡されたペットボトルに私は「ありがとうございます」と言うのが少し遅れた。その理由は姉の上げた抗議の声が先だったからじゃなくて、私が不思議に思っていたからだ。
 どうして真美さまは、何も言っていないのに私の一番好きなものを選んでくれたんだろう?


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