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なるべく不自然でないようにと「ゆっくり」に多少加減をしたとはいえ、私が意図的に足を動かす早さを落として歩いていることに真美さまはきっと気付いていたと思う。
だけど、私のそんな稚拙な企みは咎められることもなければ、いぶかしがられることさえなかった。何も言わずに真美さまは隣にいてくれて、ただ気持ちよさそうにゆっくり歩く。それは私とは違って、純粋にこの抜けるような空と爽やかな風を楽しんでいるようだった。
穏やかで柔らかい真美さまの横顔も、それをちらりとのぞく私には胸の鼓動が跳ねる原因。
雲1つない空の下を2人で歩く。それは思っていた以上に真美さまの顔を見られない瞬間で、だけど、思ってたよりずっと胸がいっぱいになる瞬間だった。
ミルクホールを後にするときテストのことを口にしたから、その流れで明後日からの中間テストの話をした。
でも、真美さまも私も、それが直接自分の将来になんて直結してはいないからだろう、あまり心配はしていなくて。むしろお互い心配しているのは姉のことだとわかると、2人でこっそりその姉の悪口と笑みをこぼした。
姉の愚痴を言い合う。ずいぶん久しぶりに思えるそれが、とても嬉しい。
けれど、その私たち2人の姉が受験生になるためもうすぐ新聞部を引退しなきゃいけないことに、私が「せいせいしますか?」なんて調子に乗って聞くと、真美さまは言ったのだ。
「案外、そうでもないわ」
苦笑して、小さく首を振る。
その答えに私は少し驚いた。意外だったのだ。マリア祭特集のかわら版では「裏」と書かれていたけれど、表にだってもちろんできるその記事を書いた真美さまは、いつ姉が引退しても大丈夫なように私には思えていたから。
「……そうなんですか?」
思わずじっと見つめて聞いてしまった。すると真美さまはほんの少し困ったような顔をして、それからため息混じりに漏らした。「残念ながらね」と。そして、右手の人差し指を唇に当てながら微笑む。
「これは内緒よ」
「は、はいっ」
恥ずかしそうな気配がにじむその仕草と笑みは、それが本心からの言葉なんだと伝えるには十分で。強くうなずいた私はその「内緒」を絶対守る決意で包んで、心の中に大切にしまい込んだ。
真美さまはそれが誰に内緒なのか言わなかったけれど、知られたくない相手はきっと1人しかいない。そして、その相手はこの話を知ったら得意になるに違いない。私は、そんな姉を羨ましく思った。何だかんだ言っても、真美さまは姉のことをちゃんと認めているのだから。記者として。お姉さまとして。
これ以上突っ込んで聞くべきじゃないのだろう。私のその質問がやや空振りに終わると、姉の悪口はそこで途切れた。
長い銀杏並木を下ってゆく。それは満ち足りた気持ちと言えばいいのだろうか。私はただ隣を歩けるだけでよかったから、無理に何か新しい話題を探そうとはしなかった。ゆっくり歩く長い銀杏並木は、いつもよりずっと長い。それが幸せだった。
真美さまはどんな気持ちでいたのだろう。それはわからないけれど、ただきっと、真美さまも特に無理をして話の種を探してはしなかったと思う。風の音を楽しむような穏やかな沈黙が続いたあとの「あ、そういえば」というつぶやきも、緩やかに思い至ったようで。
「なつちゃん。最近は、かわら版読んでくれてるの?」
「あ、はい。……友達が見せてくれるので」
その問いは私にとっても「あ、そういえば」という感覚だった。そうだ、いつの間にか、ほとんど毎号私はリリアンかわら版を読むようになっている。話題に対してクラスメートと多少温度差のあるときもあるけれど、でも話題自体がわからないわけじゃない。
私は思い起こすように、その自分の変化がいつ頃からのことなのか記憶をさかのぼる。だって……。
「前はちょっと、避けてたわよね?」
「っ!」
驚いてビクッとした。その指摘はとても正確に不思議がる私の考えを言い当てていたから。でも。
「……はい」
申し訳ない気持ちを少し含みながら小さくうなずいた私は思った。真美さまにはわかってしまうのも仕方ないのかもしれない、と。今ではどこか楽しみにさえ思っているかもしれないそれは、間違いなく真美さまに出会ったからこその私の変化なのだから。
「じゃあ、お姉さま喜んでるでしょ」
くすりと笑う真美さまに、私は「いいえ」と首を振った。だって、姉に知られたら「私はかわら版読んでないから知らないよ」と逃げることもできなくなってしまうし。
「あら? じゃあ何? 私、なつちゃんの秘密を知っちゃった?」
わざとらしく大げさに。にたりと笑う真美さまはひどく子どもっぽくて、何だか少し癪なくらいそのいたずらな笑みは可愛かった。ただ、そんな風でありながらもそれは、きっと私にこの言葉を言わせるために計算されていたんじゃないかと思う。
誘導に従って右手の人差し指を唇に当てながら、ちょっとその仕草に照れつつ言った。
「内緒ですよ」
いたずらな子どもの真美さまが「はーい」とお返事をして、落ち着いた大人の真美さまが「ふふっ」と微笑みを浮かべた。